埼玉県でトイレットペーパーが買えた 都内で買える日も近いか
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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東京は相変わらずトイレットペーパーが品薄状態で、なかなか手に入らない。しかし、周辺の地域では徐々に流通するようになっているようである。3月13日に訪れた埼玉県熊谷市のドラッグストア、スーパーマーケットなど3店舗では、購入制限付きながら買うことができた。都民はもう少しの辛抱かもしれない。
■都内はトイレットペーパーの棚はカラ
東京都内では新型コロナウイルスの感染拡大とともに広まったデマが原因で買い占め騒動となった影響で、まだトイレットペーパーが棚に並ぶことが少ない。1週間前の3月6日の時点で僕の自宅近くのドラッグストアは全てカラの状態だった。
最近はドラッグストアの店員さんが「トイレットペーパーは?」と聞かれすぎて精神的に参っていると聞くので、あまり聞くわけにもいかず、虚しくカラの棚を眺めるのみ。1週間経ってもその状況は変わらず、我が家のストックも心細い状態になっていた。
しかし、今日3月13日、埼玉県北部の町・熊谷市に出向いたところ、行った店全てでトイレットペーパーがあった!
1軒目のドラッグストアは「1家族につき1点」という制限付き。しかも香り付きのピンクのペーパーで、一般家庭ではあまり使用されないタイプではないか。
1家族1点ということは、たとえ4人家族で店を訪れても1点しか買えないということである。買えるには買えたが、品薄感を感じさせるものではあった。
■千葉県北部でも出回っている現状
2軒目、3軒目のドラッグストア、スーパーマーケットでは1人につき1点という制限。この場合は4人家族で行けば4点まで購入が可能であるから、制約としては1軒目より緩い。
3店舗ともトイレットペーパーの棚には空きがあり、まだ完全には供給されていない状況であろう。しかし、全くない東京に比べると買えるだけ幸せ。店員さんに「東京では全くありませんよ」と言うと、「え、そうなんですか!?」と驚いていた。
知人の話では千葉県北部でもかなり出回ってきているという。なぜ東京が後回しになるのか分からないが、周辺の地域で出回ってきているから、それほど遠くない時期に棚に並ぶかもしれない。
デマから始まったトイレットペーパーの不足、収束は見えてきたように思う。
》》ジャーナリスト松田様
23区の我が家近くの生協ストア、コモディイイダでは、先週末くらいからおおむね買えます。ですがマスクは流石に厳しいようです。トイレットペーパーもマスクも腐りはしないので、買い置き出来るでしょう。
台湾の大臣さんが言うように、「みんなお尻はひとつだけ」です。騒ぎが終わった時に、自宅に買いだめたトイレットペーパーの山を見て自分をどう思うかでしょう。
>>MR.CB様
コメントをありがとうございます。
都内でも地域や店によって事情は異なるのでしょうね。
僕の家の周りは全然です。そのうち、とは思っています。ただ、今回買えたので気分的には少し楽になりました。
おはようございます。
佐渡もドラッグストアではトイレットペーパーは制限付きながらまだ有りますが、ティッシュは無いです。花粉症の人も多いからでしょうか?マスクは有りません。ドラッグストアには何時も車が一杯になってます。輸送の車も増えているのですが、直ぐに無くなるのでしょうね。
>>山口 秀明様
東京も地域によっては買えるようですが、僕の周囲ではまだです。
色々と流通経路の問題なのがあるのでしょうね。買い占めは他人に迷惑がかかるからやめてほしいですし、それ以前にデマを飛ばす人間が許し難いです。
こんばんは
私の住む世田谷区桜新町でも制限付きでティッシュペーパー、トイレットペーパーが並び始めました。
マスクは中国生産の関係でしょうか、未だですね。
芥川龍之介の小説、蜘蛛の糸、を佐藤優氏は因果応報の話である解説していました。
大多数の解釈も同じでしょう。
悪いことをすれば地獄におちる、善いことをすれば救われて極楽へ、と。
芥川がそんな単純な話を書くわけがない、表題に、今にも切れそうな蜘蛛の糸を使ったのは何を意味するか、
この物語をSF作家、故小松左京は正確に理解していた、そしてパロディを書いている。
これは、人の限界ということを示した話であり、力に限界のある人間、その人間を救う事の出来ない仏教批判の話だ。
自力で、自分の救いを達成せよ、自力で地獄から脱出せよ、とする自力本願の仏教を批判した小説だ。
自力でさとりを開き、自力で解脱し地獄へ落ちる定めから脱せよ、とする仏教思想。
歎異抄も同じく、この考え、教えへのアンチテーゼ。
善人ななおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、と。
小松左京のパロディは、最後に、お釈迦様が蜘蛛の糸に引っ張られ、自分が地獄に落ちてしまう。
人を救う事の出来ない仏教など、そんな仏教こそ地獄に落ちてしまえ、とう小松左京のメッセージだ。
人は追い詰められればパニックにおちいる、自分の事しか考えなくなる。
今回、買い占めに走らなかった人たちは、戦後とは違い、日本には十分供給力はある、一過性のモノに過ぎない、との認識だったのでは、つまり心理的余裕があった。
福島の震災時のおける人々の行動を評価し、日本国民の民度の高さであるとの自画自賛が多数あった。
だが、見方を変えれば、国民は昔より支配者に飼いならされているのだ、との意見もあった。
皇居の一般参賀も見る者にはそうも見えるのだろう。
島国に生きる民族の平和ボケということか、よって外患誘致する国内勢力、それと呼応してかの様に、確かに敵は日本中枢に入り込んでいる。
何人もの日本人が拉致されてしまった、、、
スイスの民間防衛に学ぶこと大である。
買占めを、デマに躍らせれるバカな行動と、あながち言い切れないとも思います。
不足するとの情報の真偽は解らないのですから、まず自己防衛として買っておく。
情報の真偽は別として、これは買占めが起きるぞ、だから買っておくとの判断。
事実、店頭からなくなりつつあるから、その流れで買う。
人の行動としてそうなるという事であり、これからも起きるでしょう。
問題は別ですが。
3・11の時、代々木にいましたが、徒歩で世田谷まで、途中、何件かコンビニを覗きましたが、おむすび、パン類は、どこも全くない。
飲食店も皆閉めていた。
私は、即買った、ストックした人達の判断は正しいと思いました。
さらなる地震の可能性は否定できなかったのですから。
作家の曽野綾子さんが、新幹線が止まった時、すぐ車内販売の弁当を買ったと、
別の席の人達が、もう一つも残っていないとぼやいていたと。
戦中派の行動だとかなんだとか読んだ覚えがあります。
愚かさというか、
どうすることもできない人の性として、思うは
渋谷に出て、再開発により立ち並びつつある高層ビル群。
必ず巨大地震は来るのに、、
果たして、その地震に耐えうる設計、構造により建築されてるのか、それで耐えられるのか、、ただ眺める、、、です。
御返信は不要です。
追伸
文体が滅茶苦茶です(>_<)