立川談四楼さん頭の中は江戸時代?「桜の前に立つことが不謹慎」

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 落語家の立川談四楼さんが3月27日に安倍晋三首相の昭恵夫人について「満開の桜の前に立つことが不謹慎」とツイートした。昭恵夫人がアイドルやモデルらと、桜の前で笑顔を見せる写真が参議院予算委員会で話題になったことを扱ったものだが、最近、噺家の常軌を逸したツイートが目につく。これは江戸時代から連綿と続く噺家のDNAとも呼ぶべきものが関係していそうである。

■満開の桜の前に立つことが不謹慎

立川談四楼さんのツイッターから

 立川談四楼さんのツイートは以下のようなものであった。

 昭恵夫人がこの最中に花見をして浮かれただと? 安倍さんは「レストランで食事をし、庭にあった桜の前で記念撮影をしただけ」と妻を庇ったが、世間に自粛を強いながら、満開の桜の前に立つことが不謹慎だろう。それに「桜を見る会」であれだけ叩かれたのだから、桜と聞いただけで逃げ出すはずなのだ。

 東京都は3月4日に都立公園や河川敷で開かれる宴会の自粛を求めることを発表しており、写真を見ると首相夫人がそれに反するような花見をしていたのではと思われなくもない。実際に立憲民主党の杉尾秀哉議員が「首相夫人の行動として適切か」と予算委員会で質問している。

 杉尾議員の質問そのものもおかしいが、立川談四楼さんに至っては、首相夫人は桜の前にも立っていけないと言うのである。落語家らしくシャレで言ったのかもしれないが全く笑えないし、本気ならば正気の沙汰とは思えない。

■立川雲水さんは難病に苦しむ人を揶揄

シェアニュースジャパンから

 落語家によるおかしなツイートはこれが初めてではない。最近では立川雲水さんが2月29日に難病指定の病気と闘っている安倍首相を揶揄し、同じ病気で苦しむ人を傷つけるツイートをして、後日、その患者と家族にのみ謝罪し、当該ツイートを削除するという事件があった。

 落語家がなぜ、このような理解に苦しむツイートをするのか不思議に思うが、その点を立川談四楼さんはiRONNAの「立川談四楼手記、『笑点』はパヨク政権でもからかいます」という手記で明らかにしている。概ね以下のような内容。

 落語家は江戸時代から反権力を貫いており、幕府と言論で闘って島流しになった者もいる。落語の基本は「飲む・打つ・買う」であり、戦前に軍部が推し進める戦争と対極の位置にあった。それなのに国策落語を強要され、戦争に協力させられた歴史があり、そのようなものは演るべきものではない。

 それはそれで筋が通っている。時の権力者に対し、ちょっとした皮肉や言葉の遊びで反抗心を表現して笑いを取るのは落語家の真骨頂であろう。正面からぶつかったら勝ち目がない相手に、庶民の心を代弁し、洒脱に権力者を窘めることで細やかな息抜き、ガス抜きをするのは大事な役割であったと思う。

■立川談四楼さんは決定的に間違っている

 立川談四楼さんは連綿と続く落語の歴史の中に自らの果たすべき責任を感じ、その延長線上に件のツイートがあると思われる。

 しかし、それは決定的に間違えている点があると思う。権力者、政権に就いた者が民主的な手続きを経ているか否かを全く考慮していない点である。江戸時代の最高権力者・征夷大将軍は世襲で選ばれ、そこに民衆の意思が介在する余地はなかった。明治以降の大日本帝国憲法下でも、軍部が暴走した昭和20年までの時代も同様。権力者に対して庶民は不平・不満を述べることはできなかったのである。

 翻って今の時代はどうか。直接選挙で内閣総理大臣を選ぶことはできないが、国会で多数を占めた政党の代表が首相になるのが通例であり、国会で多数を占めるかどうかは選挙、つまり庶民の意思で決まる。そして、庶民は表現の自由を保障されており、最高権力者に対してもどのような主張も可能。

 つまり、最高権力者は庶民の多数を代表しているのが、現在の議会制民主主義である。そうなると最高権力者に毒づくことは、庶民の多数に毒づくことになる。これが昭和20年以前の日本との違い。

 そうした経緯を無視し、今回のように、ただ、権力者に毒づくだけの行為は前述の「庶民の心を代弁し、洒脱に権力者を窘めることで細やかな息抜き、ガス抜きをする」のとは決定的に異なる。

■立川談四楼のツイートとかけてJAXAが打ち上げた人工衛星と解く

 立川談四楼さんや立川雲水さんに申し上げたいのは、戦後、日本の権力構造が大きく変化しているから、戦うべき相手は異なってくることに気付いてほしいということ。自らのツイートに味方であるはずの庶民から批判が殺到するのはそうした構造からすればごく当たり前である。

 そうであれば、今の時代は通常は批判が許されない相手、例えばメディアや、メディアからは批判されない野党、差別解消を訴える圧力団体、特権的な地位を有する外国人団体などに対して、洒脱なセリフで我々庶民をスカッとさせてほしい。それこそが権力と戦う庶民の味方・噺家であろう。政権批判を慎めとは言わない。「政権担当者=悪・庶民の敵」という単純な思い込みから脱し、庶民の心に沿ってほしいということである。

 最後に一言。

 立川談四楼のツイートとかけて、JAXAが打ち上げた人工衛星と解く。

 その心は?

 滅多にオチません。

 お後がよろしいようで。

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