新型コロナが招く台湾映画の黄金期

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葛西 健二🇯🇵 @台北 Taipei🇹🇼

京都産業大学外国語学部中国語学科、淡江大学(中華民国=台湾)日本語文学学科大学院修士課程卒業。1998年11月に台湾に渡り、様々な角度から台湾をウオッチしている。

 今、台湾映画界が活況を呈しています。その理由の1つが、世界が新型コロナウイルス禍に苦しむ中、台湾が万全な対策を施したことにあります。ハリウッドの新作が少なくなる中、順調に新作を出し続ける台湾シネマが相対的に地位を上げています。

■台湾映画産業の興隆を目指し「台灣電影起飛大聯盟」設立

魏德聖『賽德克巴萊 セデック・バレ』(2011)画面から、捜索隊隊長を演じる筆者の葛西健二氏

 2020年7月、文化部のサポートの下、台湾の映画館や配給会社、制作会社などが手を組み「台灣電影起飛大聯盟」が設立されました。台湾映画産業の好況を継続していくことを目的としたもので、連盟の当初の目標は、年間上映本数に占める台湾映画の割合を3年以内に20%に高めることにありました。

 その効果はすぐに現れ、連盟設立からわずか3か月で台湾映画全体の興行収入は2億6500万元(約9億5000万円)に到達。2020年7月から9月末までに公開された台湾映画12本のうち10月初旬までに興行収入が1000万元(約3600万円)を超えた作品は、青春ドラマ『可不可以,你也剛好喜歡我』(簡學彬)や、台湾ホラーという新ジャンルを生み出した人気作品の続編『馗降:粽邪2』(廖士涵)等7本と好調な成績を収めていることが分かりました(中央通訊社 2020年12月16日)。

 同年10月には実際に起きた事件を描いた『無聲』(柯貞年)が公開され、スリリングな内容と金馬獎8部門で最優秀賞を独占したことから公開前から話題を集めていました。上映から4週で観客16万人を動員、4000万元(約1億4000万円)のスマッシュヒットとなりました。その他、日台合作の恋愛映画『戀愛好好說』(郭珍弟)やビビアン・スー主演の人情劇『孤味』(許承傑)等、質の高い作品が上映され注目を集めています。

■新型コロナウイルス克服が台湾映画界を後押し

 國家電影中心によると、2020年度の台湾映画のチケット売り上げは2019年の8.2%から17.8%と大幅に上昇、国内年間チケット売り上げ新記録を達成しました(讀+  2020年11月20日)。

 この台湾映画ブームの要因は、90年代の台湾映画暗黒時代から復活を遂げ質の高い作品を絶えず創り出す製作陣の努力とそれをサポートする政府、つまり官民挙げての推進が大きく関わっていると思います。そしてもう一つ、世界規模で起きている新型コロナウイルス感染拡大との関連が挙げられます。このコロナ禍の影響でハリウッド映画を中心に世界的に映画の公開が見送られたり、撮影自体が中断を余儀なくされたりしています。

 普段はハリウッド映画を上映している台湾の映画館は新作が公開されないことから映画館規模の大小問わず、旧作のリバイバル上映への転換を余儀なくされました。國家電影中心によると、2020年度に映画館で公開された旧作は105本で、これは2019年度の7倍の本数です(讀+  2020年11月20日)。

 海外の映画作品が公開に足踏みをしている中、コロナ封じ込めに成功していた台湾では、台湾映画の製作・上映に大きな変動はありませんでした。そして国内外問わず新作を公開したい映画館と、国内外問わず新作を心待ちにしている人々、ここに台湾映画が絶好のタイミングではまり込み、近年にない台湾映画ブームが生まれました。コロナ感染拡大の世界的影響が台湾映画の躍進を後押ししたのです。

■1962年台湾版アカデミー賞「金馬獎」創設

 ここで台湾映画産業の歴史を、簡単に紹介しましょう。

 第二次世界大戦後、台湾では国(党)営の映画製作会社による中国語(國語)映画と、民営による台湾語映画が製作されていました。中華民国政府は1962年に中国語映画促進を目的に台湾版アカデミー賞とも言われる「金馬獎」を創設。翌年、李翰祥の香港映画『梁山伯與祝英台 (梁山伯と祝英台)』が台湾で大ヒット、第二回金馬獎で最優秀作品賞等6部門を獲得します。

 このヒットを受け国民党営の中央電影公司は、社会の美徳や人々の温情を描く「健康寫實電影 (健康写実映画)」と呼ばれる作品を複数製作、その中心を担った李行『養鴨人家 (アヒルを飼う家)』(1965)は第三回金馬獎最優秀作品賞及び最優秀監督賞を受賞します。

 1970年代は日本と台湾(中華民国)の断交により、日本人を「侵略者」「敵」として描く劉家昌『梅花』(1975)等の抗日愛国映画が多数制作されます。

 1980年代以降、テレビに押され下降線を辿っていた台湾映画産業振興の為、中央電影公司は若手監督主体による作品製作に傾注していきます。ここから現れたのが侯孝賢、楊德昌、吳念真等その後の台湾映像界を牽引していく監督でした。戦後生まれの彼らによって作られた作品は芸術性が高く、かつ台湾社会を深く掘り下げた新しい路線の台湾映画として台湾ニューシネマと呼ばれました。

 台湾社会の実情を映す台湾ニューシネマでは劇中で中国語(國語)だけでなく台湾語や客家語も用いられたことが特徴です。同時に日本統治時代の名残を作中に散りばめた作品、侯孝賢『冬冬的假期 (冬冬の夏休み)』(1989)、呉念真『多桑 (父さん)』(1994)や、外省人の悲哀をユーモラスに描いた作品 、王童『香蕉天堂 (バナナ・パラダイス)』(1989)等、台湾社会を歴史的、多角的に描き出す優れた作品が数多く輩出されていきます。

 そして国民党の台湾接収とそれに続く本省人への弾圧を描いた侯孝賢『悲情城市』(1989)はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞、戒厳令下の1960年代に起きた実話を元に当時の若者達を描いた楊德昌『牯嶺街少年殺人事件』(1991)は東京国際映画祭にて審査員特別賞を受賞する等、台湾ニューシネマは世界からも知られるようになりました。

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