台湾の8・15 驚くほど普通の日

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葛西 健二🇯🇵 @台北 Taipei🇹🇼

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京都産業大学外国語学部中国語学科、淡江大学(中華民国=台湾)日本語文学学科大学院修士課程卒業。1998年11月に台湾に渡り、様々な角度から台湾をウオッチしている。
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 日本では8月15日は終戦の日として特別な1日ですが、台湾は特別な記念日としていません。それは台湾が置かれた微妙な位置にあるせいです。

■台湾の光復節は10・25

8月15日も変わらず盛況の日本キャラクター展。新光三越デパート中山店の名探偵コナン展

 台湾にとって8月15日が特別な日でないことは、日本の皆さんには意外に思われるかもしれません。例えば韓国ではこの日を日本の支配から脱した日として記念し、同日の日本の動向を注視します。

 台湾のマスメディアは8月15日をアジアでの戦争が終わった日として特集を組むことはありますが、中華民国政府として第二次世界大戦や日本政府の動向について発言することはありません。1945年、日本統治下であった台湾は敗戦国として終戦を迎え、同年10月25日に「戦勝国」である中華民国(国民党政府)によって接収されたからです。台湾はこの10月25日を、台湾が中華民国に戻ったことを記念して「光復節(光復:失われたものが回復する)」としています。

 台湾ではこの光復節が戦争に関する日付として浸透しています。中華民国政府は1945年8月15日当時、台湾ではなく首都南京を中心とした中国大陸にありました。中華民国国民党政府にとって台湾を接収した10月25日が重要な日なのです。政府の活動やキャンペーンも10月25日の光復節の日が中心になります。

 特に今年は、6月に解職された韓国瑜氏に替わる高雄市長選挙の投票が8月15日に行われたことで、世間の関心はそちらに集中。台湾各メディアは日本での終戦の日に関する動きとして戦没者追悼式が規模を縮小して開催されたことや、4年ぶりに閣僚(高市早苗総務相ら4人)が靖国神社を参拝したことを簡潔に伝えたにとどまりました。

■8月15日は敗戦か戦勝か 二つの立場

 8月15日は台湾に於いて複雑な日です。上述のように戦勝国として台湾を接収した中華民国国民党政府は1949年、国共内戦に敗れたため、台北を臨時首都として台湾へ政府機能を移し、台湾の実効支配を始めました。

 そして1987年まで戒厳令が敷かれ、人々が終戦時期の出来事について語ることは許されませんでした。国民党政府の実効支配下台湾では8月15日を「日本としての敗戦」と位置付ける人と、「中華民国」としての戦勝と位置付ける人が同時に存在することになったのです。

 韓国は日本の支配を脱して、独立国家としてスタートしました。しかし、台湾は上述のように日本の支配が終わって中華民国の支配下に入り、その後、地理的にも「中華民国≒台湾」という状況になったという経緯があります。

 国民党を支持する人は8・15と10・25の両方を喜ぶのかもしれません。しかし、もとから台湾にいた人たちは8・15は敗戦の日であるから悔しいでしょうし、10・25は新しい支配者が来た日で、その結果、40年近い戒厳令となったのですから、どちらも喜ぶ気にはならないのかもしれません。そうした複雑な事情が台湾にはあります。

■義務教育での8・15「何の日か忘れていた」

 では、義務教育で8月15日はどのように扱われているのでしょうか。私の職場の同僚(30代後半)によると、1945年8月15日は「日本の降伏と中華民国勝利の日」として教わったということです。また教科書にもそう記述されていたということです。ただ、彼曰く、それは歴史的出来事の一つとして教わったことで、教科書も特に多くの頁を割いて紹介されているわけでもなかった、学校側も特に重要な日として8月15日を強調したこともなかったということです。

 別の同僚(40代後半)は、学校で教わった記憶はあるが、社会に出てから8月15日を意識することもなく何の日か忘れていたということです。面白かったのは、彼が侯孝賢監督の『悲情城市』(1989年)を観て1945年8月15日の出来事を再認識したということです。

 『悲情城市』はベネチア国際映画祭金獅子賞を獲得したことで台湾国内でも話題となり、結果多くの人々が映画館に足を運びこの映画を観ました。作品はラジオから流れる昭和天皇の玉音放送を背景に男児が生まれるシーンから始まります。この場面は台湾が日本から離れ新たな時代へ進むことを暗示しています。映画は続いて国民党政権による弾圧事件と台湾社会を描いていきます。

 約40年にわたる戒厳令が解除され、タブーであった第二次世界大戦後の国民党政権の台湾実効支配を強烈に描いた当作品は、私の同僚のように歴史の再確認と再認識をさせることになりました。とても興味深いことだと思います。またこのように民主化を推進したのが故李登輝氏であったことに、あらためて氏の功績の偉大さを感じます。

■葛西健二の8・15 拍子抜けした21年前の記憶

8月15日、新光三越デパート中山店でのシルバニアファミリー展

 私が台湾で初めて8月15日を迎えたのは1999年でした。「日本の終戦は台湾解放の日」と考えていた私は、8月15日は政府主体で戦勝記念集会が行われるのでは、街中で日本人と知られたら身の危険があるのでは等、とても不安でした。当日用事があったため外出をせざるを得なかったのですが、そのときも万が一のためパスポートを携帯、日本交流協会(日本の対台湾窓口機関)の電話番号をメモして家を出ました。

 しかし、結果は拍子抜けするほど何も起こりませんでした。日本人であるからと何をされることもなく、無事に過ごすことができました。ただそのときはまだ光復節の存在を知りませんでした。日本人として注意をしなければならないのが10月25日であることは後ほど知ることになります(これはまた10月にお伝えしたいと思います)。

 台湾では戦争にまつわるものとして10月25日の光復節が記念の日となります。10月は10日が国慶節(中華民国の建国記念日)、25日が光復節、31日が蒋介石の生誕記念日となります。第二次世界大戦を交えた台湾の歴史と、日本を含む諸外国との現在の関係や情勢について語られ注目が高まるのは8月ではなく、記念日が続く10月になるのです。

 

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