銅像破壊で歴史はきれいにならないーAntifaに物申す

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石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。
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1・米英で広がる歴史遺物の破壊

 米英で広がる人種差別への抗議デモは6月中旬から暴動へ過激化した。最近では両国各地で、抗議者が「人種差別的」と認定した歴史遺物、銅像の破壊が起きている。

南軍スチュアート将軍騎馬像の前での抗議活動を報じる地元紙(ピッツバーグポストガゼッタ電子版から)

 これまで尊敬されてきた歴史的偉人、米国のワシントンやジェファーソンという建国の父たちや、英国でチャーチルの像まで破損の対象になった。

 ただし、断言しよう。銅像や歴史遺物を破損することで、歴史を一つの方向に書き換えることは即座には起きないだろう。

 同じようなことを経験した日本の戦後史を振り返れば分かる。日本では第二次大戦の大敗北の直後は、過去の日本を全否定する「歴史の浄化」の試みが広がった。しかし、社会が落ち着くと過剰な否定は止められ、一つの方向に議論が流れることは決してなかった。今でも日本の過去を攻撃する人は内外にいるが、それが社会の大勢ではない。社会にバランス感覚のある米英でもそうだろう。

 歴史という営みを、一部の人の思惑で埋め尽くそうとしても、よほどのことがない限り成功はしない。過去を消し、理想の社会を作ろうと言う共産主義的な行動は成功しない。人間の営みは、個人でも、社会でも、必ず過去が、まとわりつく。消そうとしても、決して消えることはない。

 そして暴力行為が、正当性を持っているとは思えない。F B I(米連邦捜査局)長官を務めたJ・フーバー氏が、米国の共産主義運動を「公然の党員」「非公然の党員」「同伴者」「機会主義者」「デュープス(Dupes 付和雷同する愚か者)」に分けた。観察すると、一連の暴動は決して善良な市民によるものではなく、扇動するプロ、そしてデュープスなどを含めてさまざまな思惑を持つ人が参加しているように見える。

2・「線引き」はどうするべきか

 ただし、問題は残る。歴史の解釈に、どのように向き合うべきかという問題だ。つまり、どこまでを許容するべきかという「線引き」の問題だ。

 実はもう正しい答えは出ている。「あいまい」にすることが、正しい。ここで言う「正しい」とは社会混乱をもたらさないと言う視点での判断だ。そして、もちろん「あいまい」とは明らかな悪、例えば米英で深刻な人種差別、人権侵害などの問題を「今」許容するという意味ではない。今起こっている問題は、私たちの世代が責任を持って解決しなければならない。過去の出来事を、現在の価値観で断罪するという傲慢な行為をせず、当時の価値観を許容し、先人の行動を理解するという意味だ。

 日本には、第二次世界大戦の大敗北で自国民約300万人、一説には1000万人以上とされるアジアの人々が亡くなったという暗い批判すべき歴史がある。当時から今まで、あらゆる国民が、「なんであんな戦争をしたのか」という反省は共有している。「悔恨共同体」(思想家の丸山真男氏の言葉)と言えるまとまりができていた。

 ところが、その総括を日本は、その後、総じて「あいまい」にした。もちろん、戦争責任を追及された人(連合国の定義による「戦犯」)はいるし、命や肉親、財産を失った方はいた。アジア諸国民も被害を受けた。しかし、全ての戦争責任、戦地での犯罪行為、戦争による国民の被害について責任を追及、補償することはなかった。

 これは仕方がないと私は思う。もし本格的にやったら、責任のなすりつけあいで社会は混乱し、賠償で国の財政は破綻し、今の日本人が享受しているような安定した、豊かな社会は築けなかったと思うからだ。

 このあいまいさを、「日本人はダメ」と批判をする人が多い。しかし、どの国も同じようにしてきた。その結果が、今回壊された議論を呼びそうな歴史遺物が、欧米の町に飾られ続けていたのだ。

 歴史の解釈で、誰かの糾弾は、社会のためにならない。性急な結論を排し、あいまいに先送りし、もし価値観が変わったならば、その合意を固めた上で、解釈を変え、銅像を取り除くなど、一つ一つゆっくりと動くことが適切だろう。「あいまいさ」は大人の知恵なのだ。

3・過去を簡単に否定などできない

 そして、過去生きた人たちは、今の基準で批判されることもあったとしても、また完全な聖人君子でなかったとしても、この私たちが生きる社会を残してくれた人だ。このコラムの読者の大半は日本人であろうが、今の時代の自由な豊かな日本に生まれ、生活できる幸福を享受している。そのこと自体が大変ありがたいことであるし、先人たちの努力の結果なのだ。

 私はその継承に感謝をする以上、全てを現代の価値観で断罪し、自らの父祖を罵倒することはできない。逆に、軽薄に歴史を否定し、過去の人の責任を追及する人を批判する。

 そして考えなければならない論点がある。過去の人々の行動が私たちの今を規定しているということ、そして私たちが未来の人の運命にある程度、影響を与えるということだ。残念ながら私たちの命には限りがあるが、影響を残すことはできる。仮に私たちの世代が、過去の人々を否定し、それを壊すとしたら、その行為は未来の人々に影響を与えることになる。

 保守派の論客の中川八洋筑波大学名誉教授は著書『正統の憲法 バークの哲学」(中央公論新社)で、英国の思想家エドマンド・バークを参考に、次のように国家を定義する。中川氏は過激な言辞が多く戸惑うが、これは素晴らしい本だ。私はいろいろな国家のあるべき姿を論じる言葉を読み、聞いたが、この定義が一番適切に思えた。

 「国家とは過去の祖先と未来の子孫と現在の国民が、同一の歴史と伝統を共有することによって生じる精神の共同社会(spiritual unity)である」

 国をこのように認識するならば、過去と未来の繋がりを真剣に考え、軽々しく、他人も、歴史も断罪できないはずだ。そして共同体に属する以上、私たちは過去の国の歴史を良いことも悪いことも、現代の問題として引き受け、それを後代に継承する決意が生まれるはずだ。

 今の米英での歴史遺物を破壊する暴動は軽薄にしか思えないし、それで「きれいな歴史」など作れるわけがない。日本に、このような過激な動きが広がらないことを祈る。恐ろしいことに、この暴動に同調する動きがある。トランプ大統領は一連の暴動を、アンティファ(A N T I F A)という集団が行ったとして、テロ指定組織にする意向を述べているが、その同調者が日本にもいる。そうした人の勢力が広がらないように、警戒が必要だろう。

 私たち一人一人が背負う、過去と未来への責任のために。

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