揺れる新宿のビル見た中国の少年 3・11余話

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 2011年の東日本大震災から今日11日で14年を迎えた。激甚災害の様子を見てショックを受けた中国人の少年が、その後、ある思いを胸に来日して日本の大学に進学することになる。筆者が経験した3・11余話をお伝えする。

◾️四川省大地震と東日本大震災

写真はイメージ

 中国人の青年T君と会ったのは2018年末、筆者が日本語学校で日本語を教えていた時であった。当時、大学進学を目指す生徒に志望理由書の書き方、想定される面接のやり取りを日本語で作成し、それをもとに面接練習を実施させて本番に向かわせていた。

 その日本語学校では、生徒の進路指導ができる日本語講師が少なく、受け持ちの生徒の面倒を見てくれと筆者が頼まれることが多かった。T君もその中の1人。中国の南の方から来た彼は、色白でほっそりとしたタイプで、日本語はN2(上から2番目)を保持し、日常会話はもちろん、入試に関する込み入った話もできるレベルだった。

 T君の志望学科は建築学科であった。中国からの留学生に人気があるのは芸術系と経営学系で、理工学部、それも建築学科を志望する生徒は多くない。T君になぜ、日本に留学しようと思ったのか、なぜ、建築学科を目指すのかを聞くと、以下のような話をした。

 「僕が子供の頃、四川省で大きな地震がありました。ビルが倒れて多くの人がその下敷きになって死にました。崩れ落ちたビルをテレビのニュースで見てとてもショックを受けました。その3年後、日本の東北地方で大きな地震がありました。YouTubeでその時の映像を見て、もう一度、ショックを受けました。新宿の高層ビルがユラユラと左右に揺れていました。でも倒れなかったんです。四川省のビルは倒れて多くの死者が出たのに、新宿のビルは大きく揺れることで、倒れずにすみました。日本のビルは何て素晴らしいんだろうと思いました。そして僕は中国で大きな地震でも倒れないビルを設計したいと思いました。そうすれば、人が死なずにすみます。だから、僕は優れたビルの建て方を学ぶために日本に留学しました。」

 四川大地震は2008年5月12日午後2時28分(日本時間同日午後3時28分)、四川省汶川県を震源に、マグニチュード7.9で被害範囲は四川省に加え、重慶特別市、甘粛、陝西、雲南、山西、貴州、湖北、湖南の各省に及び、死者6万9227人、行方不明者1万7923人、建物の被害は全壊約536万棟、半壊2100万棟を超えたとされている(中国国務院9月18日発表を引用する内閣府防災情報のページ・1-2中国・四川省における地震)。

◾️機能美と耐震性ーせんだいメディアテークー

(建築とランドスケープ:人と自然の調和を求めて せんだいメディアテーク)内の写真から

 話を聞き、(こういう学生に日本で学んでほしい)と思っていた筆者に、T君は続けた。「先生、僕はこういう建物を設計してみたいんです」と言って、スマートフォンに入っている建物の設計図を見せてくれた。

 彼が見せたのは「せんだいメディアテーク」という建物の3Dの設計図であった。これは建築の世界ではかなり有名な建物であり、見せてくれた設計図は柱が円筒をねじったような形で芸術的ですらある。それが耐震構造の要であるという。「優れた建築物の設計図は美しい」「抜群の耐震性があり、それが機能美のようになっている」という趣旨のことをT君はしきりに口にした。

 実際に「せんだいメディアテーク」は「地下1階部分の主体構造に履歴減衰型のエネルギー吸収機構を導入」し、「チューブ(鉄骨独立シャフト)は…大小合わせて計13本の独立シャフト(直径2~9m)は、細径厚肉鋼管(径139.8~240mm、肉厚9~45mm、FR鋼)を用いてチューブ状の立体構造を構成することによって、床を支えると同時に耐震構造体でもある主体構造を形成している。」(バーチャルアーキテクチャー・せんだいメディアテークの構造)とのことである。その上、2001年度グッドデザイン賞のグッドデザイン大賞、World Architecture Awards 2002のBest Building in East Asiaに選出されるなど、多くの賞を受賞している(せんだいメディアテーク・受賞一覧)。

 そこまで聞いて、筆者はT君と具体的な大学選びを始めた。耐震・免震の技術を駆使した建物を設計するために誰に学べばいいのかという観点で調べたところ、「柔剛混合制震構造」という技術で特許を有する教授の存在に気がついた。

 一般的に耐震構造のためには柔軟性のある部材を組み合わせればいいように思われるが「柔剛混合制震構造」は硬軟合わせた部材を用いて耐震、免震を図る技術である。その特許を持つ教授の下であればT君は自身の学びを探究できるのではないかと考え、志望理由書を仕上げさせ、面接の想定問答を作成した。

 理由書を何度か添削して完成させ、想定問答は担任の先生にも渡して何度も練習するように伝えた。こうしてT君は見事に合格。その大学へ進学した。

 これだけ学ぶ意識が高い、学ぶ対象を明確に持っている留学生は珍しい。日本語もできるし、それ以外の勉強も十分に高いレベルに達しており、順当な合格であったように思う。

◾️感じる人生の不思議さ

 2011年3月11日、筆者は中央区築地の日刊スポーツ新聞社で勤務しており、大きな揺れの中、慌てて机の下に隠れた。その後、地下鉄で新宿に出て、笹塚駅まで歩くという経験をした(参照・3・11 震災当時の日記を再録(前))。

写真はイメージ

 新宿の高層ビルを背に深夜の人の波の中、甲州街道をとぼとぼと歩いたことが忘れられない。その時の新宿の高層ビルの様子を中国でYouTubeで見たT君と、震災から7年後の2018年に大学進学を目指して力を合わせたことに人生の不思議さを思ったものである。

 東日本大震災により避難生活を余儀なくされている人は2025年2月1日の時点で約2万8000人に及ぶ(復興庁・全国の避難者数)。福島第一原発の廃炉作業はまだ終わりが見えない。復興は未だ途上にある。

 国民の一人として復興に貢献したいと思うと同時に、震災をきっかけに新たな人生を歩み始めた人の手助けができれば、それは復興の一助になるのかもしれないと思う。

 T君のその後の道は分からないが、順調なら大学を卒業し、新たな人生を歩んでいるはず。彼が学び得た知識が、人々の命を守る建築につながることを願っている。

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