嫌韓化に反発する公務員を使い社会を批判 アエラ渡辺豪氏の非論理的な記事
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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朝日新聞社の雑誌アエラ(AERA)電子版が12月1日、韓国関連の記事を公開した。タイトルは「『話が通じないんじゃないの』とこぼす母の『嫌韓化』がショックだった」(渡辺豪氏)。70代の両親が「嫌韓」の傾向が明らかになっていることを感じてショックを受けた30代の男性公務員の視点から入り、周囲に嫌韓の人が増え、嫌韓のムードが高まっていることの恐怖を間接的に主張している。「これぞ朝日新聞の手口」という、非論理的かつ偏向した記事である。
■30代の公務員に語らせた身近な嫌韓化
簡単に本文を紹介しよう。静岡県の30代の男性公務員は、最近、両親の嫌韓の傾向に気がついた。以前から保守的な父はまだしも、そうではなかった母親も元徴用工訴訟判決をきっかけに「(韓国とは)話が通じないんじゃないの」とこぼしている。嫌韓化を批判すれば「反日」のレッテルを貼られる傾向にあるとボヤく。
それ以外にも身近な人が嫌韓化しているとする意見が相次いでいる。政治家は票のため、テレビは視聴率のため日韓関係の騒動を利用しており、そのため市民の気持ちに「薄い膜」ができた。本来はこれを取り払うべきメディアも、その方向の主張は少数である。
ある女性は韓国人からお土産に傘を貰ったが、傘にハングルが書かれておりヘイトスピーチの攻撃対象になるのではと考え広げて街中を歩くことを躊躇した話や、韓国出身の女性が経営する韓国料理店が日韓関係の悪化で閉店することになり、近いうちに帰国することになった話を紹介。
最後に「日韓関係をあらためて考えませんか」と結んでいる。
■嫌韓化批判 あるのは主観的な感情論だけ
この記事は最初から「嫌韓の方向に流れる社会の危うさ、怖さ」を示す目的で書かれたのであろう。それはそれで社会の1つの事象を紹介するものであるから、取り上げるのは構わない。しかし、それならば社会の多数の人々の考えが論理的に、あるいは社会通念に照らしておかしいと客観的に批判すべきなのだが、それは一切ない。あるのは主観的な感情論だけである。
「母親の変化がショック」、「ネットでは、韓国を低く見るようなコメントが目につき憂慮」、「私の中に自分でも認めたくない『薄い膜』が張られていたのだと思う」、「ハングルの傘をさすと攻撃対象にされるのでは、という恐怖心がわいたのだと思う」というコメントの数々がそれを如実に示している。
日韓のこうした状況が発生したこと自体、過去に例のないことであろう。その原因や責任の所在には一切触れずに嫌韓の空気に流れる社会の怖さを強調しても、大多数の人はこう思うに違いない。
「全て韓国の自業自得だよ」。
■僕なら「嫌韓化に批判的な根拠は何か」と聞く
僕が記事を担当するなら、冒頭の30代の公務員に、こう聞く。
「韓国のこれまでのやり方を見て、なお、韓国を批判することに対して批判的である根拠は何か」
一番、大事なことを聞かずに、自分の主張に合致するコメントだけを取り上げ、あたかも昨今の嫌韓の風潮を悪いことのように仕上げる記事は印象操作と言われても仕方がない。それが分かるのが記事の冒頭の文章である。
原文:静岡県内の30代の男性公務員は、テレビを見ながらつぶやく70代の父親の言葉にうんざりさせられている。韓国に関するテレビニュースが流れるたび、父親が茶の間で「嫌韓」を露わにするのだ。男性はこう嘆く。「父はもともと保守的な考えをもっていましたが、私や母はどちらかというと逆。なので、父は私たちの前では控えているつもりのようですが、口をついて出るんですよね」
これを以下のように立場を替えて書けば、印象はガラリと変わる。
修正:静岡県内の30代の公務員を子にもつ70代の男性は、息子の言動にうんざりさせられている。韓国に関するテレビニュースが流れるたび不快感が出てしまう自分に対して、(悪いのは日本だ)と言わんばかりに、蔑むような目を向ける。男性はこう嘆く。「息子はもともと反日的、全て日本が悪いという考えを持っていましたが、私はどちらかというと逆。なので、息子は私の前では控えているつもりのようですが、表情に出るんですよね」。
■中立性を捨てたメディアは淘汰されてしまえ
国民の多数の声が朝日新聞の考えと異なる時、彼らはこうした手法を使って印象操作をしてくるということはよく覚えておいた方がいい。メディアであれば、戦後初めてと言っていい韓国に対する多数の国民による悪感情が生じた原因こそを究明すべきであろう。
市民の間にできた『薄い膜』について「本来はこれを取り払うべきメディア」という時点で一定の価値観で報じる立場を示しており、中立性を欠いている。嫌韓の風潮を批判するなら、新韓(反日)の人の主観に頼らずに、客観的な事実や社会通念に照らして批判すべき。それができないメディアはいずれ淘汰されるだろう。
というか、淘汰されてしまえ。
淘汰されてしまえ。←他力本願