侵攻後も憲法9条言葉遊びの政治家

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ロシア軍が2月24日にウクライナへの侵攻を開始、プーチン大統領は核兵器の使用の可能性も公言している。欧州は第二次大戦以後、最大の軍事衝突に発展する危険性を秘めている。世界が戦争の時代に突入しようとしている時に憲法9条の重要性を主張し、言葉遊びとしか思えないツイートをしている日本の政治家が存在する。その危機感の欠如ぶりには絶望的な思いをさせられる。

■国際社会の現実見せたウクライナ侵攻

テレビ演説をするプーチン大統領(ロシア国営テレビ・ロシア1画面から)

 24日にロシア軍が全面的な侵攻を開始し、25日には首都キエフの陥落が近いと言われている。これに対し、米国を中心とした自由主義圏の国々はロシアへの批判を強め、経済制裁で対抗するが、NATO(北大西洋条約機構)軍が介入する気配はない。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領も「われわれは孤立無援で防戦している。共に戦ってくれる者はいないようだ」と述べたと伝えられている(AFP2月25日・ウクライナは「孤立無援」 大統領)。

 これはプーチン大統領が24日のテレビ演説で「ロシアは最強の核保有国の1つだ。ロシアへの直接攻撃は、敗北と壊滅的な結果をもたらすことは間違いない」(FNNプライムオンライン・軍事侵攻にロシア市民驚くも大半支持 プーチン大統領「最強の核保有国の1つだ」)と、NATOの介入があれば核兵器の使用をも厭わない姿勢を見せたことも影響しているのかもしれない。

 全面的な核戦争になれば米国が勝利するのは疑いないが、大きなダメージを受けるのは避けられない。核兵器は「自国は滅びてもいいから、使用する」と強い決意を持ち、それを示した者は、核戦力で勝る相手の動きも封じることができるという好例となったと言えるのかもしれない。

 ロシアの侵攻と1939年ナチスドイツのポーランド侵攻は、自国民の保護を理由にし、電撃的な進撃という点で共通している。ポーランド侵攻を招いたのは英国のチェンバレン首相のナチスドイツに対する宥和政策に原因を求める向きが多いが、米国がロシアの横暴を指を咥えて見ているようであれば、この先、どのような悲劇に繋がるか、背筋が寒くなる思いである。

 これが国際社会の現実。最後にモノを言うのは軍事力であり、国家の正義や倫理に期待して行動することがいかに危険で、国民の生命や財産を守るためには意味のない行為であるかを示している。

■社民党の風が吹けば桶屋が儲かるツイート

米山隆一氏(同氏HPから)

 こうした国際社会の現状を目の当たりにしながら、一部の日本の政治家は、憲法9条を持ち出して不毛な議論をしている。いくつか例を挙げてみよう。

志位和夫氏(日本共産党委員長、衆議院議員):憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです。(ツイッター・2月24日午後5時51分投稿)

社民党:憲法9条は日本政府による他国侵略を禁じ、戦争放棄を実現するもの。憲法9条を持つ日本の国民として #противвойны (戦争反対)、#Противійни (戦争反対)の声をあげるロシア国民・ウクライナ国民と共に在り、ロシア政府の蛮行を止める国際的連帯を築くことが力になります。決して無力ではありません。(ツイッター・2月25日午前9時15分投稿)

米山隆一氏(衆議院議員):まあしかし、「戦争反対と言っても戦争はなくならない」と言ったところで、やっぱり戦争はなくならないですけどね。…(ツイッター・2月24日午後7時46分投稿)

米山隆一氏(衆議院議員):「ウクライナに9条があったら」個別的自衛権は行使できますが、集団的自衛権は行使できずNATOに加盟できないので、実は今回の戦争は起こっていません。…9条を揶揄して留飲を下げるのは低レベルです。(ツイッター・2月25日午前8時31分投稿)

■全く意味のないツイート

 これらのツイートに何か意味があるのか不思議に思う。

 志位氏は(憲法9条がロシアにあれば、プーチン大統領は他国に侵略できない、すなわち9条があればロシアの侵攻はなかった)と言っている。プーチン大統領が実際に侵攻し、ロシアが考える国際紛争を軍事力で解決する手段を用いているのであるから、この先、ロシアがその方法を捨てる憲法9条を導入するはずがない。国際紛争を軍事力で解決しようとする国にこそ憲法9条が必要なのはその通りで、そのような国が自国の国際紛争解決手段を放棄する憲法を制定するはずがなく、机上の空論を主張しているに過ぎない。

 社民党の主張は、憲法9条という、専守防衛の条項を持つ国の人々が戦争反対を叫ぶことで、ロシアの蛮行を止める国際的連帯を築くことになるので、無力ではないという。

 米仏独らとタフな交渉を続けながら侵攻に踏み切った国に対して、全く事件と関係のない国の憲法に専守防衛の規定があることによって影響力を及ぼせると考える思考回路はどのようなものなのか。ごくわずかな因果関係を繋いでいくことで、可能性の存在を講学上認められるという、まさに風が吹けば桶屋が儲かるという考えそのものと言える。

 米山氏①は、「『戦争反対』と叫んでも戦争はなくならないぞ」(A)と言っている人に、「そのように言っても、戦争はなくならない」(B)と言っているに過ぎない。そもそも(A)を主張する人は、「口だけ戦争反対を叫んでも、何の実効性も伴わない」と指摘しており、戦争をなくすための対案を示しているわけではない。もしかするとNATO軍の介入などでロシア軍を撃退し、戦争に勝ってウクライナに平和をと考えているのかもしれない。

 そのような(A)の主張を、戦争を直ちになくすことが目的であるかのように勝手に決めつけ、目的は達成できない点では同じレベルとして、相手の攻撃を無力化したと周囲に思い込ませるだけの言葉遊びである。

■事実誤認し9条擁護の米山氏

在日ウクライナ大使館はTwitterでデモの呼びかけている(同大使館ツイッターから)

 米山氏②は、事実を誤認している。日本でも集団的自衛権は持っているが行使できないという従来の政府解釈が2014年に変更された。それを最終的に最高裁がどう判断するか、判断する機会があるかすら分からないが、少なくとも政府は現行の憲法9条の下でも集団的自衛権の保持と行使は両立すると解釈している。その解釈をそのままウクライナ政府が採用すればNATOに加盟して、ウクライナが集団的自衛権を行使できることは疑いない。

 仮に集団的自衛権を行使できないという解釈をとっていたとしたら、北大西洋条約第5条【武力攻撃に対する共同防衛】の条項に抵触する可能性はある。

 しかし、国際条約というものは全面的に同意しなければ締結できないわけではない。条約法条約第2節で「留保」を定めており、集団的自衛権に関しては「他の条約締結国が攻撃された際に、集団的自衛権は行使できない」という留保を付して加盟することは現実的な選択肢となりうる。

 さらに、今回問題になるのは、ウクライナが攻撃を受けて他国が集団的自衛権を行使するパターンであるから、日本が攻撃された時に米国が集団的自衛権を行使するパターンと同じ。これは政府解釈の変更の前でも可能であった。

 集団的自衛権は国連憲章51条に定められており、集団的自衛権の行使は、安全保障条約、軍事同盟を結んでいる国のみが行使できるなどという制約はない。国際司法裁判所は、ニカラグア事件の本案判決(1986年6月27日)で、集団的自衛権の行使要件として(1)被害国が攻撃を受けたことを宣言、(2)その国による援助の要請、の2点を挙げており、ウクライナから(1)と(2)があれば、NATO加盟国はもちろん、そうではない国が集団的自衛権を行使することは可能である。

 以上のように米山氏②は前提事実を誤ったまま主張しており、検討する価値すらない記述と言える。

■憲法9条の前提が崩れた時期に

 政治家や政党のツイートの細かいミスを見つけて、あれこれ指摘することが目的ではない。ロシア軍のウクライナ侵攻は第二次大戦以後、最大の欧州での戦乱となるのは確実と見られ、しかも21世紀の今も19世紀、20世紀型の他国を侵略する方式の戦争が生じうるという点で、世界史的な事件と言える。

 2度の世界大戦を通じ、戦争がない、平和な世界を築くという決意の下、国際連合が発足し、数々の平和を維持するシステムを構築して第三次大戦の発生を防いできたと認識している人が少なくないはず。実際に歴史の教科書には同様の記述がある。ウクライナ戦争は、こうした努力を徒労に終わらせるものとなるかもしれない。我々の「戦後を生きてきた」という認識は誤っており、実は第二次大戦と第三次大戦の戦間期を生きている可能性もある。

 もう世界大戦は発生しないという認識の下、日本国憲法9条は定められた。憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあり、それを具現化したものが9条という見方もできる。

 しかし、今、ロシアが言いがかりのような理由で隣国に侵攻している。国際平和に多大な責任を負う安保理常任理事国が「平和を愛する諸国民の公正と信義」とは反対の行動に出ている。9条の前提が崩れた今、国家・国民をどう守るかが問われており、国家の存亡に関わる事態と言っていい。

 その時に「ウクライナに9条があったら、NATOに加盟できなかった」とか「プーチンのような指導者に戦争をさせないための9条」など、大きく変わった国際情勢の下でも、政治家・政党が何の役にも立たない情報発信をしていることが大問題である。

 憲法は今すぐ変える必要がないと主張していた政治家を含め、国家が存在してこその憲法であることをよく認識した方がいい。自らの政治的利益のためではなく、国家・国民を考えて憲法を向き合う時期であることを、心すべき時である。

"侵攻後も憲法9条言葉遊びの政治家"に1件のコメントがあります。

  1. 秋吉万葉 より:

    松田様こんばんは。
    私もロシアのウクライナ侵攻について、政治家や政党のツイッターでの呟きを何件か見ました。
    ロシアの侵攻は許されないとだけ呟かれても、それは当然のことであって、じゃあそれに対してどうするのか?建設的な意見や方策が示されて欲しいと思うのです。
    普段、私はツイッターで政治関係のことに口をはさんだりしないのですが、あまりに情けなかったので、ついそのような事を書き込んだら、別の人からネットで声をあげる事でそれが広まって政治を動かす、貴方のディスりこそ何の意味があるのかと言われました。
    別にディスってるつもりはなかったのですけど、人は色々な受け取り方をするもので、人は分かり合えないものだなと思いました。

    少し内容が違う方向に進んでしまい、申し訳ございません。

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