天皇陛下の8・15靖国神社親拝を求めたい

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 終戦の日から75年が経とうとしている。靖国神社は明日8月15日は多くの参拝者が訪れることであろう。首相の参拝は当然として、個人的に天皇陛下の親拝を望んでいる。理由は単純で「天皇陛下万歳」と言って亡くなった人のためである。

■天皇陛下の親拝は1975年11月21日以来途絶え

靖国神社内にある菊の御紋(撮影・松田隆)

 昭和天皇は在位中、頻繁に靖国神社を親拝されていたが、1975年11月21日を最後に行わなかった。これは1978年10月17日の、いわゆる「A級裁判合祀」が影響していると考えるのが一般的であろうが、その前に1975年8月15日に三木武夫首相が「私人」として参拝したことが影響したのかもしれない。そのあたりはまさに昭和天皇の「おこころ」の部分であって、われわれには分からない。

 靖国神社が「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」(同神社HPから)であることを考えると、A級戦犯合祀はその本来の趣旨と合っているのかという素朴な疑問がないわけではない。彼らは戦地で散ったわけではなく、事後の東京裁判で死刑とされたから、通常の戦死者とは意味合いは異なるように思える。

 ただ、東京裁判の裁判としての正統性は大いに疑問。よく言われるように「平和に対する罪」は事後法による裁きであり許されるものではない。「実質的適否の問題は別として、形式的には確かに事後法による処罰であって、罪刑法定主義に反するという非難があてはまる余地がある。」(現代国際法 栗林忠男 慶應義塾大学出版会 p428)と考えるのが一般的であろう。

 結局、東京裁判は司法の名を借りて政治目的を達成するための手段だったことは否めず、それであれば東京裁判での刑死者は「戦死者」に準ずるという考え方もできないわけではない。

■東京裁判の問題点 罪刑法定主義に違反

 死刑を執行された7人のうち、広田弘毅元首相を除く6人は軍人である。その6人は戦争で負けた場合、相手に殺されるか、自害するか、覚悟はできていたと思う。それがいいというわけではない。それが近代の戦争における日本の軍人の考え方であったと思うし、また、戦争とはそういうものである。

 そのため、米軍が敵将としての東條英機元首相らを殺害することは「戦争に負けるとは、そういうことだ」と思うし、軍人である元首相も、ある種、納得であろう。

 しかし、裁判で罪人として刑死させられるというのであれば、話は別。裁判というからには法を厳格に適用すべきで、罪刑法定主義に反する判決で人命が奪われることなど許されない。東京裁判の最大の問題はそこにあると思う。

■敗戦の責任と戦地で散った人への気持ちは別

靖国神社(8月12日、撮影・松田隆)

 結果として陸軍の暴走が大日本帝国を破滅に追いやり、多くの人々を落命させ、戦後、苦渋を舐めさせたのであるから、戦争指導者の日本国民に対する責任は重い。当サイトで石井孝明氏は「多分私は神になっても靖国神社で、高級軍人、また後から祭られた東条英機元首相などの戦争指導者に対して、その無能に怒って、殴って歩くだろう。」と書いた(参照:「靖国」賛美への違和感-失敗を肯定するのか)。

 その意見を個人的にに解釈すると、要は「無謀な負ける戦争をして、国民を苦しめやがって」ということであろうし、その思いは僕も同じである。

 もっとも日本国民に対する敗戦の責任と、戦地で散った人々への慰霊の気持ちは別のものであり、そこは石井孝明氏も「戦没者の哀悼と、敗戦の苦しみを乗り越えた75年前の日本の先人たちに心から感謝を示したい。」(同)と書いており、その点も思いは同じである。

■今上陛下による親拝を

 天皇陛下の親拝を求める理由は極めて素朴。「天皇陛下万歳」「靖国で会おう」と言って散った若者たちがいたのだから、天皇陛下には靖国神社を親拝していただき慰霊をしていただきたい。その一点に尽きる。信じる人のために散った命に、信じられた人が慰霊をしてほしいという単純な思いである。

 昭和の天皇陛下は戦争時に在位していたため、戦争に対し思われる部分があったのかもしれない。しかし、今上陛下は戦後のお生まれである。最後の親拝から45年、そろそろ、靖国神社に出向かれてもいいのではないかと思う。

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