競馬ライターかなざわいっせいさん死去 目標とした書き手との不思議な縁

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
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 競馬ライターかなざわいっせいさんが3月5日に亡くなった。1955年生まれのまだ60代半ば、早すぎる旅立ちだった。3月16日発売の週刊競馬ブックは、追悼文を掲載し故人を悼んだ。僕にとってかなざわさんは友人の友人という存在だったが、ほんの少しだが直接的な関わりもあった。

■別冊宝島競馬読本で一緒に書く機会

3月16日発売の週刊競馬ブックには追悼文が掲載された(週刊競馬ブック誌面から)

 かなざわいっせいさんとは、宝島社が出していた「別冊宝島 競馬読本」で一緒に書く機会が多かったが、独特な文体で「面白い原稿を書く人だな」というイメージを持っていた。

 僕が大学生の頃、好きだったライターはカーツ佐藤(現カーツさとう)氏で、彼のような文章を好んで書いていた時期がある。かなざわさんの原稿を最初に見た時、「競馬の世界にもカーツ佐藤のようなライターがいるんだな」と思ったのをよく覚えている。

 ライターとして僕を育ててくれたと言ってもいい宝島社の編集者I・Eさんからは「松田さん、かなざわいっせいさんの文章を参考にしてみてね。それで自分の原稿と比べて、何がいいのかを見ればいいと思うわよ」とアドバイスをいただいた。

 その頃から、面識はないものの、何となく彼の存在は意識していた。

■取材先の牧場で「かなざわいっせいです」

 そんな彼とおかしなことで接点を持つ。僕が日刊スポーツの競馬担当だった時、ある育成牧場に取材に行った。そこには確か調教師のお嬢さんだったと思うが、20歳前の女性が働いていた。当時の競馬サークルは今のように女性の厩務員、助手はおらず、完全な男性社会。彼女はそんな男性社会に入って調教助手になり、競馬に携わりたいというのである。競馬学校から競馬サークルを目指す彼女の奮闘ぶりを伝える記事の取材だった。

 その牧場に行くと、まだ駆け出しのライターだったかなざわさんが従業員として働いていたのである。育成牧場で勤務しながらライターをしているとは耳にしていたが、まさか取材先で会うとは思わなかった。

 女性への取材が終わった時に、かなざわさんが僕に近づいてきた。

かなざわ:あなた、日刊スポーツの松田さん?

松田:そうですが。

かなざわ:かなざわいっせいです。

松田:かなざわさん…別冊宝島で書かれている?

かなざわ:そうです。

松田:それは…いつも楽しく原稿を拝見しています。牧場で働いてるんですか?

かなざわ:そうです。ライターもやってます。今日の取材、新聞記事になりますか。

松田:もちろん、なります。

かなざわ:記事にするのやめてください。

松田:は?

かなざわ:どうせ、彼女のこと、よく書くんでしょ?

松田:それは頑張ってますからね。悪く書く要素はありません。

かなざわ:おかしいですよ。彼女は従業員全員から嫌われています。仕事もできないし。

松田:かなざわさんにはそう見えるのかもしれませんが、一生懸命やってるんじゃないですか? 場長さんもそう言われてましたし。

かなざわ:一緒に働いている人間が言うのだから、間違いありません。そういう人間が「頑張ってる」と新聞でデカデカと扱われるのは、僕たち耐えられないんです。

松田:そう言われましてもね…。

かなざわ:もし、記事にするなら、僕は一生、日刊スポーツには協力しませんからね。

■週刊競馬ブック 昔と変わらない調子で執筆

 変わった人だな、という思いで牧場を後にした。ユニークな原稿を書く人は、やはり少し変わったところがあるのかなと思いながら会社に上がったのをよく覚えている。結局、その記事は紙面のトップを飾ることになったから、かなざわさんは不愉快な思いをされたかもしれない。僕自身は特に嫌な思いもしていないし、一つの思い出として今も心に残っている。

 その後、何度か競馬場で見かけたような記憶があるが、話す機会はなかった。数年前、たまたま手にした週刊競馬ブックで、かなざわさんが昔と変わらない調子で執筆しているのを目にして(心底、競馬が好きなのだろう)と思わされた。仕事と割り切っていた僕とは全く違うスタンスで競馬に接していたのであろう。

 一時期とはいえ接点があった方の死は寂しい。心よりご冥福をお祈りします。

合掌

6 thoughts on “競馬ライターかなざわいっせいさん死去 目標とした書き手との不思議な縁

  1. アバター MR.CB より:

    》》ジャーナリス松田様

    いいですね!めっちゃ良い記事です。
    小生も競馬ファンですが、故人のことは知りませんでした。
    おっしゃっていること、共感出来ます。松田様も思っていらっしゃると思いますが、彼女は、きっと間違いなく「つかえない」人だったはずです。

    1. matsuda matsuda より:

      >>MR.CB様
       コメントをありがとございます。
       かなざわさんは当時、僕と付き合いの多かった友人の友人でして、一緒に飲みに行く機会もありそうでしたが最後まで個人的な付き合いには至りませんでした。その友人は「かなざわいっせいが…」と良く話していましたが、僕とかなざわ氏の接点があった後も、かなざわ氏は僕の悪口は言ってなかったようで、一定の親しみを感じていてくれたのかもしれません。同じ雑誌に書いていて、しかも2人とも編集者I・Eさん直系みたいな感じでしたから、思うものがあったのかなと。

       今になって(もう少し話をしていたらな)ですとか(僕のHPも見てくれていたのかな)、と思います。

  2. アバター MR.CB より:

    》》ジャーナリスト松田様

    ネットで調べました。熱狂的なファンがいるようですね。ますます興味が湧きました。ネット情報では、最後の記事は口実筆記だったそうです。また、新冠の川上悦夫さんの牧場で最初に働かれたとのこと。小生も川上悦夫さんとは僅かに縁あって、1992年のミホノブルボンが勝ったダービーを、偶然に府中競馬場の一般席で、立ち見の隣り合わせで観戦しました(もちろんビジネスにおいて面識はありました)。無理くりの偶然でありますが、若かりし記憶を思い出してしまいました。

    1. matsuda matsuda より:

      >>MR.CB様

       ミホノブルボンのダービーをご覧になっていましたか。僕は記者席で観戦して、確かハイライト原稿を書いたはずです。同じ場所にいた同士、30年近く後になってネットでやり取りをしているのも人生の不思議です。

       実は僕のサイトで執筆してくれている台北の葛西健二氏とも同じようなことがあり、彼はメジロマックイーンとトウカイテイオーの春の天皇賞を現場で見ていたそうで「僕はトウカイテイオー担当で、京都競馬場にいましたよ」という話で盛り上がりました。

       人生は、縁は不思議なものですね。

  3. アバター MR.CB より:

    》》ジャーナリスト松田様

    小説よりも奇なり…ですね。

    ちなみに川上氏の生産馬は2着ライスシャワーの鼻差の3着でしたが、勝馬ミホノブルボンとは決定的な差がありました。直線で大騒ぎして応援する小生の横で、「1着以外は皆同じ」然と、ほとんど声を発せず異常なほど冷静でした。懐かしく、忘れかけていた素敵な記憶が松田様のおかげで蘇りました。ありがとうございます!

    1. matsuda matsuda より:

      >.MR.CB様
       3着はマヤノペトリュースですね。田原騎手騎乗で(何かやってくるんじゃないかな)(気持ち悪いな)と思っていました。川上氏もその後は色々とご苦労されたようですが、まあ、それはそれとして。

       僕も遠い日に見たダービーを思い出しました。ありがとうございます。

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