靖国参拝は政治家の「覚悟」の問題 橋下徹氏の分祀論に疑問
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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今年も8月15日がやってくる。安倍晋三首相は今年も靖国神社に参拝しないのかもしれない。また、宮内庁が靖国神社からの参拝要請を断ったという報道も流れている。そんな折、14日に元大阪市長の橋下徹氏が靖国神社についての見解をツイッターで公開した。「天皇陛下と首相が参拝できる環境を整えるべき」という彼の結論には反対しない。中国や韓国が何を言おうが、国の礎となった人への鎮魂、感謝の念を示すことは当然のことと思う。ただ、橋下氏の方法論には疑問符がつく。
■橋下徹氏の分祀論への違和感、誰が神様かを国家が決定?
天皇陛下の参拝は1975年11月21日(昭和天皇陛下)、首相の参拝は2013年12月26日、安倍晋三首相が最後である。天皇陛下についてはA級戦犯の合祀に不快感を持ったと伝えられており、首相については中国・韓国との関係悪化を避けるという政治的理由によるものと思われる。橋下氏はこうした状況を良しとせず、天皇陛下と首相が参拝できる環境を作ろうというものであろう。それはそれでいいと思う。
ただし、その方法について橋下氏は「東京裁判とは別に、自ら戦争指導者責任を明確にし、国をあげて祀る対象から外すべき。分祀のほかに返納という方法も検討すべき。戦争指導者は靖国本殿とは別の形で祀る方法を模索すべきだ」としている。
これはおかしい。戦争指導者責任があったとしても、国のために戦って散ったのであれば、それは信仰の対象となるのは当然である。なぜなら靖国神社が「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊(みたま)を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。」(靖国神社HPより)という神社だからである。
■宗教への国家の介入は国民の内心への介入
祀られるかどうかを生前の政治責任の有無で決定することを強要するのは宗教に対する政治の介入である。時の首相が「この人は神様だから拝みなさい、この人は生前、赦しがたい罪を犯したので神様ではありません」と決めることに他ならない。信仰の対象を政治が決めることに国民が納得できるはずがなく、もし、そうするなら日本はサウジアラビアやイランなどと同じ宗教国家となり、国民の内心にまで国家が介入する事態も考えられる。
この点、橋下氏は「靖國の代わりの施設を作るのではありません。靖國を国立化するだけです。」として、靖国神社の国立化にも言及し、「実行プロセスとして憲法20条改正による国立化を経ての分祀案を提案しました。」(7月4日のツイート)としている。しかし、20条の改正は9条改正よりハードルが高いと思われ、いかに橋下氏が政治的影響力を持つ存在とはいえ絵に描いた餅に過ぎない。
■唯一の解決法は信念を持って参拝を宣言し、行動すること
僕が思うに、唯一の方法は中国や韓国に対して「天皇陛下や首相の参拝に政治的な目的はなく、慰霊目的で、国家の平和を祈念するものであるから、他国から干渉されるいわれはない」と日本の立場を説明すればいいだけの話である。説得して、相手を納得させる。納得しなければ「これは国内問題であり、内政干渉は許さない」と毅然とした態度を示せば済む。
外交は駆け引き、ギブアンドテイクであって、その調整をして国益に資するのが政治家の仕事なのかもしれないが、同時に政治信条を貫くのも政治家の務めである。外国に日本の立場を理解させるのも大事な外交だと思う。
橋下氏は自身の考えは少数派であることを認め、「首相になる可能性のある国会議員が、複数人、首相就任時に靖国参拝すると明言すれば、僕の分祀案は全て撤回します。そんなことする必要ないので。」(7月4日のツイート)ともつぶやいているから、僕の方法を否定しているわけではなさそう。今のままでは実現が難しいと言っているから、別の方法を考えようという中の選択肢の1つと理解できる。
それに対して、橋下氏の方法は実現が困難であるというのが僕の考え。最終的には信念を持った政治家が「私は何があっても参拝する」と公言し、信念を持って行動に移すことが、実現の可能性が高い解決法であると思う。国家間の摩擦はない方がいいが、国家の誇りや存在意義に関わる問題であれば摩擦を覚悟でやらなければならない時がある。それが政治だと僕は思う。