新潟県佐渡市の三浦基裕市長は日刊スポーツ前社長、不祥事連発に「やっぱりな」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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新潟県佐渡市で8月19日、市主催のイベント「アースセレブレーション」の臨時駐車場で軽自動車が海に転落、運転していた55歳の女性が死亡した。三浦基裕市長は「今回の出来事をしっかりと検証し、必要に応じた安全管理に努めてまいります」とコメントしたが、死者が出た後に「安全管理に努める」という市民を舐めたようなセリフには唖然とさせれられる。この三浦市長は、日刊スポーツ新聞社の前社長。社歴は僕より5年長く、出世は早かった。しかし、僕の見た目では「トップにしてはいけない人」であり、不祥事発生に「やっぱり、やらかしたな」という思いである。
■低すぎる車止め、死者が出てから「安全管理に努める」
55歳の女性が死亡した臨時駐車場はテレビで見る限り、危険極まりない。車止めは目測で15cmほどの高さしかなく、自動車で簡単に乗り越えられてしまいそうである。佐渡西署の発表では「車は方向転換をした後に前進し、車止めを乗り越えて海に転落した。目立ったブレーキ痕はなかった」(読売新聞オンライン)。こんな危険な場所を臨時駐車場にすること自体、信じられないが、せめて車止めの部分にバリケードを置くなどの措置が必要であったろう。
それを死者が出てから「検証して安全管理に努める」とは行政のトップとして完全に失格。死者が出る前に安全管理に努めるのが市長の務めであるのは言うまでもない。
三浦市長の不祥事はこれだけではない。今年3月9日に佐渡市の沖合で高速船「ぎんが」が海洋生物とみられる物体と衝突して80人が負傷する大事故が発生。佐渡市の両津港では市の指揮本部が設けられ副市長ら職員が救急隊と連携して救助作業が行われていたが、三浦市長は市内の自治会との会合に出席しており現場には出向かなかった。会合では酒を飲んでいたというのだから呆れるしかない。3月11日の市議会で「現地とは連絡をとっていた。負傷者の搬送活動がもうすぐ終わるという連絡を受けたので懇親会に出席した」(朝日新聞DIGITAL)と現場に行かなかった理由を説明し、陳謝したという。
■80人負傷の大事故の時に「かんぱ~い」の三浦市長
80人の負傷者はまさに生きるか死ぬかの思いをしたことであろう。それを市の職員が救急と連携して必死に救助活動している時に「かんぱ~い」と酒を飲んでいたというのであるから、辞職を求められるのも当然である。
こうした三浦市長の他人の痛みを感じない性癖は日刊スポーツにいた時代から見られていた。三浦氏は僕の記憶では30代で野球部長になり出世街道を順調に歩んでいたせいか、とにかく自意識の強さだけは人一倍で、他人の痛みを感じる様子は全く見られなかった。
社長になる前後だったと思うが、社内でライバル関係にあった社員Aさんを編集局付けという完全な閑職に追いやる人事を断行。Aさんは仕事を与えられず、1日中、周囲の目にさらされるという境遇にされたのである。リストラ対象の人に会社を辞めさせるために、何も仕事を与えずに1日中、部屋に座らせておくハラスメントが一時社会問題となったが、それが問題になる前に三浦氏は実際にそれを行なっていたのである。そのような行為が社会的に許されないことが、全く理解できていなかったと言ってもいい。
僕にとってAさんは上司であり、色々とお世話になった人である。新聞社の人間としては極めて優秀で一時は出世街道に乗り、将来の日刊スポーツを背負う人間として周囲から期待されていた。そんなAさんが閑職に追いやられた姿を見るのは辛かった。僕が会社を辞める2014年、最後の出勤日にAさんと2人で食事をした。Aさんは「俺がラインから外れたら、それまですり寄ってきた連中が、みんな手のひらを返したように去っていった。挨拶もしない。今、まともに話をするのはお前と、もう1人ぐらいだ」と自嘲気味に笑っていたのを思い出す。
■1期2年で解任、三浦社長の早すぎる失脚
三浦氏は僕が会社を辞める前、2011年6月に定時株主総会で1期2年で事実上解任された。日刊スポーツは創業家で会長の川田員之氏が過半数の株式を有するオーナー会社であり、川田氏が株主としての権利を行使したのである。この解任は「新聞大不況時代にクーデター勃発!? 日刊スポーツ激震の社長交代劇」などと大きく報じられた。
三浦社長が解任された日、僕は「ああ、やっぱりな」という感想を持った。日刊スポーツは三浦氏のように若くして出世する社員は少なくないが、その多くは取締役になった後に放逐されている。三浦氏もその例に漏れなかった。
Aさんの例でも明らかなように、三浦氏は他人の痛みを感じられない人だと僕は思っていたし、恣意的な人事を行ない、反発を感じている社員も少なくなかった。そうした空気をオーナーの川田氏は感じていたのかもしれない。実はもう1点、僕は三浦氏が解任される予兆を感じていたのだが、それはまた別の機会に。
■末端の人間などどうでもいい?
団体のトップとなったら、全ての人の人生を背負う覚悟がなければならない。それがトップの務めである。しかし、三浦氏の場合、A氏の例などを見る限り「末端の人間なんてどうでもいい」という発想が根幹にあったように思える。そんな人間が佐渡市長選挙に出馬すると聞いて(当選して、佐渡市の方が後々泣くようなことにならなければいいが)と思っていたら、案の定である。
55歳の女性の死亡事故を聞いた時、佐渡市民の投票行動がこの事故の遠因になっていると思うと、何ともやりきれない思いになった。
松田隆 様 飯島正明 と言います、「ぎんが」の件それから「バリケイト設置不適切」で「死亡事故」が発生した件等々、多数の記事を拝読いたしました。『本庁舎』の件は、驚愕するのみで実態はどうなのですか、「現庁舎は、そのままで業務を継続しつつ、他の場所に「広くて庁舎・その他の複合施設を建設し合わせて広大な駐車場が、とれる土地」をとなると航空写真を撮り、「議会」はかりと共に「佐渡市広報等」を活用して
市民に啓蒙運動をすると、例えば司法書士等は、多様な情報を持っていると思われますが、記者魂の根性と知識をもってすれば、良い解決策が飛び込んで来る様な予感がします。「とき」ばかり「光」を当てても何も出来ません。住民の佐渡離れをどの様に食い止め逆に、子持の親を呼び込む「魅力」のある佐渡の復活の方策を考えてみませんか。
こをばんは。
記事を読むと、三浦市長にかなりの怨みがあるようですね。
日刊スポーツ時代に何があったかしりませんが、記事の二つは言い掛かりですね。
まず、ジェットホイル事故
松田さんは『酒を飲んだ』を強調し『公務』とは一言も書いていませんね。
当日市長は事故現場から1時間以上離れた場所で『公務』の最中でした。
公務後に参加者と飲酒をしたのは事実です。
佐渡には副市長が二人います。
そのうち一人は現場の港近くに住み、即座に港に向かい、市長の指示を仰いでいました。
もちろん、近くの市役所職員も駆けつけています。
佐渡汽船の事故ですが、副市長、市役所職員数名が現場にいた訳です。
何の為の副市長でしょうか?
松田さん同様、市長に怨みを持つ市議が同じように議会で責めていましたが、その市議は市長選で島中の土建屋から支援を受けながら三浦市長に敗れた候補の一派でした。
当然、島の人はその関係を知っていますから「まだ根に持つか!」と言った受け止めでした。
もう一つの件、車の事故はたいへん悲しい出来事でした。
港の車止が低い?小さい?と書かれていますが、松田さんは港へ行かれた事はありますか?
日本各地の港に設置されている車止、当然佐渡の港も同じ物です。
一般の駐車場にある車止より高さ、幅はありますよ。
港あるいは港近くでイベントがあれば、佐渡に限らず港はかっこうの臨時駐車場となるでしょう。
アースセレブレーションは30年以上も前からの佐渡のイベントで、毎回港は臨時駐車場となります。
仮に責めるとしたら、市長ではなく、アースセレブレーションの実行委員じゃないですか?
日刊スポーツでの出来事はわかりませんが、佐渡に関わる上の2点は言い掛かり?怨み?ですよね?
>>日刊スポーツ愛読書様
僕は三浦氏には恨みはありません。会えば普通に挨拶しますしね。先輩ですから。ただ、三浦氏は行政の長になれる器ではありませんし、それで佐渡市民が迷惑を受けると、日刊スポーツの社員だったものとして本意ではないというだけの話です。
ジェットホイルの事故は、市長も謝っていましたね。市長は自らの対応を間違っていると認めた訳ですから、三浦市長支持の方か知りませんが、決着のついた話です。三浦市長の行動は不適切だった。それだけです。副市長が働かなかったら、市長にも責任があります。それが行政の長です。
駐車場の事故は、人命が失われているのに、よくそういうことが書けるなと思います。市民の生命と身体を守るのは首長としての重要な役割です。尊い人命が失われているわけで、市長はそれを防げたはずです。
怨みがあるとか、三浦市長が謝っているのに副市長が悪いとか、もう少し合理的に物事を考えた方がいいと思いますよ。