暇空茜氏の書類送検報道とメディアの二重基準
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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YouTuberの暇空茜氏が名誉毀損の疑いで書類送検されたと、16日に複数のメディアが報じた。一般社団法人Colabo(仁藤夢乃代表)の名誉を傷付けたとするものであるが、刑事告訴から検察官への事件の送致(証拠物等の送付)は刑事訴訟法上で定められた手続き。法令に則り実施された手続きを取り立てて報じるほどの重大な価値はないと思われる。過去に伊藤詩織氏が書類送検された際には報道がなされなかった事案と比べると、バランスを欠く姿勢であることは明らかである。
◾️犯罪者扱いは論外
報道によると、暇空茜氏は「自身のブログサイトで『Colaboは10代の女の子をタコ部屋に住まわせて生活保護を受給させ、毎月一人6万5千円ずつ徴収している』と書き込み、コラボの名誉を毀損した」(産経新聞電子版・「暇空茜」名乗る自称ユーチューバーを書類送検 Colaboの名誉毀損容疑)との容疑で、2023年11月にコラボ側が告訴していたという。
今回の検察官への事件の送付には「検察に刑事処分の判断を委ねる『相当処分』の意見を付け」(同)られたという。これらの報道が産経新聞だけでなく、毎日新聞、TBSなどでも報じられている。なお、「書類送検は15日付」(毎日新聞電子版・「Colabo」への名誉毀損疑い 「暇空茜」名乗る男性を書類送検)とのこと。
これに対して暇空茜氏はXで自身の書類送検を報じる記事を引用し、告訴を受けて1月に警察に呼ばれて取り調べを受けたことを明かし、さらに「書類送検って告訴すれば必ずやることで、むしろ僕の逮捕は必要なかったって事よ」(2024年2月16日午後7時10分投稿)というポストを投稿した。
一連の流れの中、産経新聞電子版などが書類送検について報じたことの意味が明確ではない。暇空茜氏が投稿したように、告訴の後、司法警察員は検察官に書類及び証拠物を送付しなければならないと規定されている(刑事訴訟法242条)。送検によって有罪が確定したわけではない。今回の意味を分かりやすく記述すると「有罪になるかどうかを決める裁判を開始させる権限を有する検察官に対し、司法警察員が『起訴するかどうかは専らそちらの判断で、こちらとしては特にこうしてほしいということはありません』という意見を付けて事件を送った」というものに過ぎない。
これをあたかも有罪が確実になったとしたり、告訴された人を犯罪者として扱ったり、というのは法的に正しくないのは明らかで、倫理的に許されない行為と言っていい。
◾️伊藤詩織氏の場合
昨年11月の時点でコラボ側が告訴していたのであるから、今回のメディアの報じた書類送検は刑訴法242条に基づく手続きが行われたというものに過ぎない。
その法定の手続きが行われないのであれば違法な不作為ということで大ニュースであるが、手続きが行われたことそのもののニュース価値はあまり大きくない。事案が次のステージに進んだという点では意味があるが、それ以上でも以下でもない。
ここで別の同種の例を出してみよう。ジャーナリストの伊藤詩織氏は、TBSの元局員から2019年6月に虚偽告訴と名誉毀損の容疑で告訴され、同年9月に書類送検されているが、各メディアはその事実を報じていない。当サイトでは「主要メディアは…9月に書類送検されたとする件については、沈黙を守った。示し合わせたかのようなこの沈黙ぶりは報道管制でも敷かれているかと疑いたくなるような不気味さ。確認できただけでも日本テレビ、TBS、フジテレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日刊スポーツは、書類送検の事実を報じていない。」(言いたい放題・伊藤詩織J 書類送検無視のメディア)と記事で紹介した。
伊藤詩織氏が書類送検された事実を少なくとも当サイトが記事にした時点でTBSも毎日新聞も報じていないのに、一方で暇空茜氏について報じているのはどのような理由なのか。書類送検に意味があると考えて暇空茜氏の場合は報じたのであろう。そして、伊藤詩織氏の場合にはそうした価値はなかったということであれば、そのような判断の根拠は是非とも明らかにしていただきたい。
メディアのこうした告訴された人物の属性によって態度を変えているとしか思えない姿勢が、多くの人が不信感を募らせる一因となっているのではないか。テレビ離れ、新聞離れが進むのはこうしたメディアへの不信感があると思料する。
◾️告訴の法的意味と効果
告訴に関する法的問題を簡単に解説しておこう。告訴とは「犯罪の被害者その他法律に定めた告訴権を有する者が、捜査機関に対して、犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示」(刑事訴訟法講義第3版 安冨潔 慶應義塾大学出版会 p62)である。
そして、告訴を受けた司法警察員は事件を警察にとどめることは許されない。全件送致の原則と呼ばれるもので、告訴を受理した司法警察員は、必ず送検しなければならないのである。
【刑事訴訟法242条】
司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない。
この書類及び証拠物の「送付」というのが多少、悩ましい表現ではある。というのも同法246条に「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。」という一節があり、242条の送付と246条の(事件の)送致との差異で、242条は書類と証拠物だけを検察官に送って、事件そのものは残す、つまり警察が引き続き取り扱いをすると解釈する余地が生じるからである。
もっとも、このあたりはどうでもいい話ともいえ、「送付後は、検察官の具体的指揮(刑訴193条3項)を待つことになる。」(新・コンメンタール刑事訴訟法第2版 後藤昭・白取祐司 日本評論社 p600)のであるから、後は検察官が起訴か不起訴かを決めることになるという点では差異はない。
そして、本件においては事件を送った司法警察員が「相当処分」の意見を付けたというのである。この相当処分とは、独占的に起訴権限を有する検察官(刑訴法247条)に対して、事件を送った警察としては(こうすることを望みます)という意見を付ける、その一例である。その法的根拠は犯罪捜査規範にある。
【犯罪捜査規範195条】
事件を送致又は送付するに当たつては、犯罪の事実及び情状等に関する意見を付した送致書又は送付書を作成し、関係書類及び証拠物を添付するものとする。
警察官の意見とはいえ検察官の決定を拘束することはできず、あくまでも決めるのは検察官。一般的に意見は4種類あるとされ、厳しい順に、厳重処分、相当処分、寛大処分、しかるべき処分である(泉総合法律事務所 刑事弁護・「厳重処分(処分意見)を付けて書類送検」とは?)。
この相当処分を極めて抽象的に表現すれば「起訴するもしないも、そちらで決めてください」というもの。警察官が処罰を望むのであれば「厳重処分」を付して送るが、本件ではそうではなかったという事実には留意すべきである。
◾️メディアの姿勢こそが問題
以上のように、暇空茜氏の書類送検には全く意味がないとは言わないが、それほど重大な問題を孕んでいるわけではない。
X上には喜んでいるような様子も見てとれる投稿もあるが、ここまで説明したように大騒ぎするような話ではない。それよりも伊藤詩織氏では報じられず、暇空茜氏の場合は報じられたというメディアの姿勢にこそ注目すべきではないのか。
メディアがこういうダブスタをかますのは、自分達の身内か身内でないかで決めるのだと思います。
また、身内であっても山口敬之氏の様に自由民主党の議員とそれなりの関係を持っている人物に対しては、「メディアは権力者側を監視する」という観点から、裏切り者扱いにされて、左派系メディアを中心に敵視される事になります。
伊藤詩織氏はメディアから見れば「大事な身内」なので、どんなに外部から伊藤氏が叩かれても、左派系メディアを中心に市民団体と結託して必死になって守り続けます。
その一方で、暇空茜氏を徹底的に吊し上げているのは、メディアが外部から監視される事に対する抵抗だと看做しても良いと思います。
抑も思想の左右を問わずメディア同士が馴れ合い体質で、相互監視をしてこなかった事が原因です。
BPOも本来なら第三者機関として立ち上げなければいけないものを、身内だけで固めているから、笊組織でなどと揶揄されるのです。
だからこそ一国民が立ち上がって、メディアの不正を暴くしか方法がなかったのです。
全ての原因は、メディアの驕り体質です。
此が改善されない限り、メディアは永遠とゴミ扱いされると思います。
暇空茜氏は自身のYoutebeチャンネルで配信動画の中で、「2023年の1月に刑事告訴を受理したから話を聞かせてと警察に言われ2023年に取り調べを受けた」「告訴の内容は、2022年11月に民事で提訴された内容とまったく同じだった」と言ってます。
なのに報道(TBS、毎日、産経)では「昨年11月に刑事告訴していた」とされています。
ただの一般人に過ぎない暇空茜氏の単なる手続きが複数の大手メディアによって報道されること自体不自然ですが、報道と暇空茜氏の話でcolaboが刑事告訴した時期について大きな乖離があるのもおかしいなと思います。