またまた牛歩 大石あきこ議員の存在価値
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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れいわ新選組の大石晃子(あきこ)議員が3月1日、衆議院本会議で2度の”牛歩”を行った。立憲民主党提出の小野寺五典予算委員長(自民)の解任決議案でゆっくりとした歩みで投票箱に向かうパフォーマンス。さらに同夜には、鈴木俊一財務省への不信任決議案にも牛歩を使用、時間切れで投票ができなかった。同議員の牛歩は確認できるだけで3年連続。国会審議をいたずらに引き延ばして国政を停滞させる迷惑な行為は、国民には何ももたらさないことに気付く様子はない。
◾️全く合理性に欠ける行動
大石議員の牛歩は日テレNEWS LIVEなどでも報じられたことで、本人は一定の政治目的を達成した満足感があるのではないか。Xには以下のような投稿がされた。
衆議院本会議(裏金議員も野党も全員集合の会議)で牛歩しました
次、22:00からまた本会議です。
(2024年3月1日午後8時35分投稿)
投稿には上記の日テレNEWS LIVEのURLが引用されていることを思えば、最初から有権者へのパフォーマンスをしようという意識であったと思われる。
なお、牛歩に対しては、その対策として衆議院では時間制限が設けられている。
【衆議院規則】155条の2
記名投票を行う場合、議長において時間を制限したときは、議長は、その時間内に投票しない者を棄権したものとみなすことができる。
大石氏は鈴木俊一財務省の不信任決議案には賛成票を投じる予定であったようであるが、議長が時間制限を行い、それに間に合わなかったために投票ができなかった。結局、棄権扱いになってしまったのであるから、採決に不参加という形で記録に残る。
議員としての権利が不行使であったこと、不信任に賛成した票数が結果的に1票少なくなったことは、大石氏の政治目的の達成を不十分なものにしてしまったと思われる。全く合理性に欠ける行動と言うしかない。
◾️大石議員の過去の牛歩
大石議員の牛歩は今回が初めてではない。2022年2月22日に、衆議院の予算案の採決で山本太郎代表を筆頭にれいわ新選組の議員が牛歩を行い、さらに投票する際に壇上から予算案に抗議を行った(産経新聞電子版・山本太郎氏ら本会議壇上で叫ぶ 予算案抗議)。
さらに2023年2月28日には同じく予算案の採決で大石議員と、同党の櫛渕万里議員が実行している(朝日新聞DIGITAL・れいわの2氏が牛歩戦術、「愚か者」と叫んだ大石氏は投票できず)。この後、大石議員は櫛渕議員とともに厳重注意を受けている。この年の5月には本会議の採決の場で政治的メッセージが書かれた紙を掲げた行動に対して、再度、厳重注意を受けた(厳重注意れいわ大石晃子議員 公安調査庁は監視を)。
こうした経緯を踏まえて、またしても同様の行為を繰り返したのであるから本人は全く反省する気がないのであろう。「タチが悪い」という言葉以外に適切な表現が見当たらない。
議会における決定方法は、最後は多数決である。より多くの人が支持する方法を採用するものであり、これが民主政治の根拠、パワーの源泉となる。
もちろん、少数意見への配慮、考慮は必要。それは採決に至る前に十分な審議を行い、時に法案を修正するなどの方法で実現されるものであり、全く折り合いがつかない場合は多数決で決するよりほかにない。
時に野党は多数決を「数の暴力」と呼ぶが、それは正しくない。議事妨害や乱闘などで採決を行わせない行為こそが議会制民主主義の否定である。民主主義は少数意見が違法・不当な力で多数意見を封じ込めることではないことを国会議員が理解していないとしたら、実に悲しむべきことであるし、また、恐ろしいことでもある。
◾️馬鹿馬鹿しいパフォーマンスはやめろ
この日の本会議では立憲民主党の山井和則議員が、小野寺予算委員長の解任決議案に関する趣旨弁明でフィリバスターと呼ばれる議事妨害と思われる行為に出た。
2時間54分に及ぶ趣旨弁明で予算案の裁決を遅らせたのである。これは2018年7月、同党の枝野幸男代表(当時)の2時間43分を抜く新記録と報じられている(産経新聞電子版・立民・山井氏が衆院でフィリバスター、2時間54分の新記録 不記載の51人読み上げ)。
山井氏は新記録を狙って喋り続けたのかは分からないが、野党のこうした馬鹿馬鹿しいパフォーマンスはいい加減やめたらどうかと思う。国民には何ももたらさないのは明らかで、国会議員なら堂々と理念と政策を論じ、有権者の判断を仰ぐべき。
大石議員は大阪大学、山井議員は京都大学という、高い水準の学問を習得してきたのであるから、小学生でも分かるような民主主義の基本をわきまえてほしい。
024年2月12日
コミュニティノート作成してます Xの”ご意見番”
上記にコメントしようと思っていたのですが、
>自分なりに使命感をもって、評価と作成をしていこうと思う。それが自分にできる(ほんの僅かな)社会貢献と考えている。
僅かどころか偉大なるお働きであります。
情報戦とはもう使い古された言葉ですが日本、世界は正に々情報戦、善と悪との闘いであります。
善と悪との二元論を批判しましたが基本的価値観においては善と悪であります。
その善とは
>ただ一つ言えることは、新聞記者は読者から信用されるのが仕事を続けるモチベーションになり、そしてそれを失ったら仕事は続けられないということ。
信用とは誠実、約束を守ると同義語(というか同じ意味)であり、これは、ソビエト連邦の崩壊を予測した社会学者、故小室直樹氏の指摘。
キリスト教の契約の概念がなければ近代国家は成立しなかった。の契約、約束を守る、誠実、信用であります。
近代国家を形成するに至った価値感の一つでありすなわち善なり!
(善とは何か悪とは何かの持論を述べたいのですが長文となり割愛)
この価値観に立脚した松田氏の記事の貴重さよ。
相手にする価値のないファシスト共の所業を拾い上げ記事にして我々に再認識させて下さるお働きはファシスト共への各個撃破でありカウンタープロパガンダとして貴重極まりなしであります。
>筆者はそうして評価、作成してきた。報酬はない。1円にもならないことをしているのは、SNS上で特定のアカウントが知識不足・情報不足、あるいは、政治的目的でフェイクニュースを流していると思われる、世論をミスリーディングすることを恐れるからである。
↑
上記、一円にもならない、に関してはよく持ち出していたお金儲けの神様こと、邱永漢氏を引用して
そうではない、逆である事をコメントしたいのですが長文となり割愛~!
でも少しだけ~
もうけた金は使うためにある、金は使うためにある、金を使うとはすなわちどう生きるかである。
望んだ生き方をしているということは金を使っていることと同義である~。
又すでにもうける前からやりたいことをお先取りしているのだとも言える。
時間は金では買えない、何億積んでも過ぎ去った時は買い戻せない。
すなわちいかに時間という貴重な富を望んだことに使っている、使えているのかだ。贅沢なことである。
上記、精神的勝利法とはいえないと思います。
そして矛盾ではなく善なる無償の行為は人を超えた存在が見ている、そして喜んでいると真に思います。
そしてその行いは報いられると真に思っています、何時?御推測できることかと、
ご返信は不要です。
>国民には何ももたらさないのは明らかで
そればかりか能登の震災被災者の救済を人質にとる愚かな行為。
人道的にも許し難い。