何も悪くない1945ひろしまタイムライン
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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NHK広島放送局が24日、「1945ひろしまタイムライン」についておわびをホームページ上に掲載した。「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、実在の被爆者らが残した文書等をもとに若者らがツイートするもの。「朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」という投稿に対して「差別を助長している」という批判が集まっていた。
■戦勝国を称する人々の無法ぶりも歴史的事実
問題のツイートは8月20日に、終戦後、朝鮮人を中心に「戦勝国民だ」などと言って、日本人に対して暴行を加えるなどする様子を、当時の中学1年生の手記をもとにツイートしたもの。戦後の混乱期、このような行為があったことはよく知られており、広島の被曝体験を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治)でもそのようなシーンが登場する。
これも日本の戦後のありのままの姿であり、「1945ひろしまタイムライン」はそれを当時の手記から再現して掲載したのであろう。戦争の悲惨さを後世に伝える重要な役割があると思う。
ところが、これに対して「差別を助長している」といった批判が上がっていたという(朝日新聞電子版8月24日付け)。NHK広島放送局は翌21日にツイートで問い合わせが多いことに触れた上で「これはシュンのモデルとなった人物の手記やインタビュー取材での実際の表現にならったものです。」と説明した。その3日後の24日にお詫びを掲載したものである。
おわびを抜粋すると以下のようなものである。
戦争の時代に中学1年生が見聞きしたことを、十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分だったと考えています。…手記を提供してくれた方が、1945年当時に抱いた思いを、現在も持っているかのような誤解を生み、プロジェクトに参加している高校生など関係者のみなさんにも、ご迷惑をおかけしたことをおわびいたします。
これを読む限り、韓国・朝鮮の人々への差別であることは認めていないようである。視聴者への配慮が足りなかったこと、プロジェクト参加の高校生などに迷惑をかけたことを謝罪しているに過ぎない。
■NHK広島放送局は謝る必要はない
NHK広島放送局が企画制作者としてお騒がせしたことを関係者に謝罪するのは勝手だが、「差別を助長しました、すみません」と謝罪する必要はない。「差別でした」といってツイートを削除するようであれば、そちらの方が大問題で、そうしなかったことに救いを感じる。
歴史を後世に正しく伝えることは重要なことである。韓国の人々は常々「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」というドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領の言葉を引用する。今回のツイートはまさに過去に目を閉ざさず、歴史に向き合った結果であり、それを謝罪する必要などない。
「1945ひろしまタイムライン」のツイートを差別であるとし、ツイートを消せなどと主張する者は「自らに都合の悪い事実を覆い隠せ」と言っているに等しい。ただ、覆い隠すだけでは「表現の自由への干渉」ととられるために「差別」を持ち出しているように思えてならない。
どんなに都合の悪いことであっても、過去は過去の事実として向き合うことが科学的態度であり、そうした過去の事実の積み重ねの上に現在と未来がある。
■トリエンナーレで「表現の自由」を叫んだ人々
NHK広島放送局を批判した人たちがどのような属性なのかは知らないが、昨夏問題になった「あいちトリエンナーレ2019の『表現の不自由展・その後』」で、昭和天皇の写真を焼く展示物などについて「表現の自由だ」と主張し、展示を続けるべきとしていた人たちは、今回の件でどのように言ったのか気になる。
トリエンナーレは表現の自由を尊重し、戦後の朝鮮人の行為について表現の自由を認めない二重基準になっていないか。そうした二重基準があるとしたら許し難い。
沖縄タイムスの阿部岳記者はトリエンナーレに関し、コラムで「表現の自由は、圧迫にあらがう者がいる限り死なない。何度でも声を上げよう。生きるために。」と書いている(沖縄タイムス電子版2019年8月5日【大弦小弦】)。今回の件でもツイートしているので紹介しておこう。
「NHK広島放送局はここに至ってもまだ問題が理解できていない。…これは差別の問題なので、差別の方を謝罪しなければならない。」
阿部岳記者や、彼と考えを同じくする者たちの言う「表現の自由」とは一体何なのか。阿部岳記者がNHKを批判しているということは、今回のNHKの態度は正しかったということの1つの証左たり得る。