量子夫人無事でよかった 武豊騎手宅で窃盗

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 武豊騎手(55)の京都市内にある自宅に3月24日未明、複数の窃盗犯が侵入した。現金や高級時計が盗まれたもようだが、在宅していた量子夫人(55)は無事だった。一刻も早い犯人逮捕を望むのは当然として、かつて同騎手や夫人を取材した者としては、量子夫人が無事であったことに胸を撫で下ろしている。

◾️3月24日未明に窃盗犯が侵入

武騎手夫妻(Abema 競馬のおはなし画面から)

 武豊騎手は4日、自身のサイトで3月末に窃盗被害に遭ったことを明らかにした。

「3月24日の未明に、自宅に複数人の侵入があり窃盗被害に遭いました。在宅中の家族は無事でした。現在、警察によって懸命な捜査をいただいており、詳しいことはこれ以上言えないのですが、物質的な被害よりも家内の精神的なショックの方が大きく、私自身ももちろんショックを受けています。…」(Take a Chance! YUTAKA TAKE・取材対応について

 その後、一斉にメディアの報道があった。詳細は不明であるが、3月24日未明といえば、武豊騎手は競馬開催のために調整ルームと呼ばれる施設に入らなければならず、子供のいない同騎手の自宅には量子夫人が1人でいたものと思われる。

 複数の窃盗犯が女性1人しかいない自宅に侵入、もし、量子夫人が物音に気付いて騒いでいたら、何をされていたか分からない。その点、「自宅にいた家族は物音で犯人の侵入に気付きましたが、けがはなかったということです。」(NHK・武豊騎手 京都の自宅で現金や高級腕時計など数百点盗難の被害)とされている。

 「…警察が強盗ではなく窃盗事件として捜査しているということは、在宅中だった奥さんは、寝たふりを続けるなどして犯人と直接対面はしていないのかもしれません」(全国紙社会部記者)(NEWS ポストセブン・《妻・佐野量子が在宅中に強盗犯侵入》狙われた武豊騎手の京都豪邸「元アイドルが直面した恐怖の6時間」)という報道もなされている。

 盗みに入った犯人が、住人に気付かれ、犯行を隠すために殺害した例は少なくない。最近も、いわゆるルフィ広域強盗事件の中の「狛江市強盗殺人事件」では、90歳の女性が侵入犯に殺害されている(朝日新聞DIGITAL・東京都狛江市の強盗殺人事件、男2人を逮捕 90歳女性が被害)。

 そういった背景があるだけに、犯人グループに対して怒りを覚えつつも、量子夫人が無事であったことに胸を撫で下ろしている。

◾️栴檀は双葉より芳し

 量子夫人は、かつてアイドルの佐野量子として活躍していたことはよく知られている。本名は量子(かずこ)と読む。筆者はかつて日刊スポーツ新聞社の中央競馬担当として武豊騎手を取材し、結婚前後は量子夫人も取材する機会が何度かあった。

 1995年に武豊騎手と結婚する前は、量子さんの周辺を取材して本当に結婚するのか、するとしていつ頃かを探っていた。その中で量子さんの母親が比較的取材に応じてくれて、多くの話を聞くことができた。ある時、母親から中学の卒業時の写真を見せていただいたが、これが衝撃的であった。

 偏見のように思われてしまうが、昭和の時代の静岡の中学生といえば女子も男子も飾り気のない素顔のまま写真に収まっており、そんなクラスの集合写真の中で、量子さんは一際目を引く存在であった。筆者は写真を見た瞬間、「これが量子さんですね」と指をさすと、母親はにっこりと笑って「そうよ」と答えてくれた。当時のクラスメイトの方には本当に申し訳ないが烏の集団に白鳥が一羽いるような風情。(栴檀は双葉より芳し)という言葉を思い浮かべたのをよく覚えている。

 量子さんは高校1年の時に芸能界でデビューするために東京に出るが、その時期、母親も全くの素人から飲食業を開始するタイミングであった。故郷を出て東京に向かう日、量子さんを自動車に乗せて駅まで送ると、車から降りる時に量子さんは言ったという。

 「お母さん、お仕事頑張ってね。私も頑張るから」

◾️クレールフォンテーヌ競馬場での撮影会

 テレビ画面で見せる「佐野量子」は多少、キャラをつくっていたのか、ほんわかしたイメージを醸し出していたが、母親から聞く量子さんは前述のエピソードのように非常に芯の強い女性であった。

 結婚後は武豊騎手の海外遠征に同行することもあり、何度か話を聞く機会があった。忘れられないのが1995年のダンスパートナーのフランス遠征である。6月に挙式し、8月のフランス遠征に同行していたが、スポーツ新聞の記者が狙うのはツーショット写真である。その当時、武夫妻はメディアの報道にナーバスになっており、ツーショット写真を撮らせなかった。そうするとカメラマンはシャッターチャンスを狙い続けることになる。

 この状況を打開したのがサンケイスポーツの楠山正人記者であった。当時、武豊騎手と最も近い存在であり、「一度、ツーショットを撮らせれば、みんなダンスパートナーの方に行くから、撮らせた方がいいんじゃない?」と同騎手に提案し、撮影機会の設定に成功したのである。場所はドーヴィルにあるクレールフォンテーヌ競馬場であったと思う。

 武豊騎手がやや硬い表情ながら笑顔の量子夫人と並んで立ち、それをカメラマン、記者がバシャバシャと写真を撮った。その結果、その後はカメラマンも2人のツーショットを狙うこともなく、遠征の取材もスムーズに行われた。なお、きっかけを作った楠山記者は、現在、作家・本城雅人として活躍しているのはご存知の方も多いと思う。

 撮影後に筆者が記者仲間に「佐野量子さんと写真が撮りたいよな」と言うと、みな、同じ気持ちであった。とにかく、現役(を引退したばかり)のアイドル、眩しいぐらいに美しかったから、皆がその気になるのも無理はない。そこで筆者が代表して「すみませんが、写真を一緒に撮らせていただけませんでしょうか?」と頼んだ。量子さんはすぐに了解してくれて、今度は同行する記者とのツーショット撮影会となったのである。

 筆者が並んだ時に、量子さんは筆者の方を向き「主人も、松田さんにいい記事を書いていただけるようになれればいいなと思っています」と言ってにっこりと笑った。筆者は1991年秋の天皇賞でメジロマックイーンの武豊騎手が斜行して最下位に降着した時に厳しいことを書いたことなどもあって、同騎手からは好かれていなかったのは感じていた。それを知って声がけをしてくれたのであろう。

 クレバーで、社会性があり、関わる人すべてを惹きつける。筆者が知る量子夫人は、そういう人であった。

◾️今でも忘れない量子夫人の恩

クレールフォンテーヌ競馬場(ノルマンディ競馬評議会HPから)

 こうした経緯もあり、個人的に武豊騎手を今でも応援しているし、量子夫人にも大変お世話になった、その恩は今も忘れていない。今回の事件で量子さんが大変なショックを受けていると知り、こちらも胸が痛い。

 ただ、窃盗被害だけで終わったことは不幸中の幸いと感じる。

 NHKの報道で犯人の侵入に気付いたが、けがはなかったというのは非常時でも命を守るための行動を徹底したからであろう。

 命の危険もある場面で、とりうる最善の方法を選択し、最悪の事態を免れた知恵と勇気は、わずかながらでも接点のあった筆者からすれば量子夫人だからこそできたことではないかと感じる。

 早く精神的ショックから立ち直り、元の生活を取り戻せることをほんの一時期だけでも接点をもたせてもらった者として願っている。

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