三億円事件(昭和43年)の現場は今

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

ちょっと縁があって、昭和43年の三億円事件のことを調べている。そのことを知る世代には忘れられない大事件だろう。

三億円事件の現金強奪現場。左の塀が府中刑務所

夏頃、現場付近を回ったり、地元の人に話を聞いたりした。まず現金奪取の現場だが、府中刑務所の塀の写真、見覚えがある人が多いのではないか。遠くに歩道橋が見えるが、事件当時から新聞の写真などに写り込んでいる。昔は刑務所の監視塔があったが、今では監視カメラになっているのが分かる。

犯人がセドリックを乗り捨て、カローラに乗り換えたのが杭に挟まれた道路のあたりである。当時の写真だと本多家の墓所の横に強奪されたセドリックが置かれているが、後になって墓所が少し場所を移されたらしい。それで現地の人に話を聞いたら、杭で挟まれた道が、乗り捨てられていた道だという。

強奪されたセドリックが乗り捨てられていた場所

単独犯なのか、複数犯なのか今でも議論になったりするが、どうなのか。単独犯の方が合理性があるような感じはする。

現場を車で回ったが、何となくだけど犯人はこんなことを考えていたのではないかというのを感じることができる。

たとえば現金輸送車のルートが2つあり、犯人は内通者からの情報で、どちらを通るか知っていたのではという話もあるが、それは現場を歩けば絶対にないと思える。

犯人は最初は自動車で現金輸送車の前を走り、ルートが確定した段階で急いでニセ白バイを隠していた場所に向かったが、そのニセ白バイのある位置は2つのルートのうち、東芝府中工場への近道を通る方のルートの近くに置いてある。

現金輸送車に近道を通られた時に間に合わないから、そこに置くのは当然だろう。先に車で先行して、ルートが確定してからそこに向かったという行動と合わせて考えると、犯人は当日、セドリックがどちらを通るか知らなかったということを間接的に証明している。

自分で現場を歩いてみて、ほぼ半世紀前の犯人はこんなことを考えたんだなと想像したりするのはエキサイティングではある。

また暇な時に行ってみようと思う。

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